室内で犬を飼っている家で、犬がソファーで寝ている時に、飼い主が犬をソファーから下ろそうとすると怒る犬がいる。

ソファーに限らず、飼い主の言う事を聞かない犬。

飼い主は、言う事を聞かない犬に手を焼く。


何故飼い犬が言う事を聞かないのか?

それが分からなければ、犬を飼い慣らす事は出来ない。


理屈は簡単、序列の崩壊。


犬は集団の中で序列を敏感に読み取っている。

自分の要望を聞き入れる母親は自分より下、その母親の言いなりになっている子供は自分より下、子供の言いなりになっている母親は自分より下でその子供は母親より上、父親は母親に頭が上がらないから母親よりも下、子供にも馬鹿にされていたら最下層。

だから自分が一番上だと思っている。


その最下層の父親に命令されれば当然怒る。


人間の子供も同じ。

自分の要望を聞く母親は自分より下。

母親の言うがままの父は、母より下、だから自分が一番偉い。


これが、自己愛性人格障害の発生要因である「父親の不在と母親の過保護」の基本的なメカニズムである。


人間は集団を作る動物であり、その最小単位が家庭である。

家庭の序列が狂っていれば、子供に序列の感覚は養われない。

親の序列感が狂っていれば、子供の序列感にも影響を及ぼす。


先の犬の例を少し考えてみよう。

犬が飼い主に怒る時に理屈で考えているだろうか?

犬が「怒る」と言う事は感情であり、別に理屈で怒っている訳ではない。

序列と言う理解をしているのではなく、序列を感覚として感じている。


やはりポイントはここだろう。

犬は、理屈で怒っているのではなく、感情で怒っている。

それは「厳し過ぎる教育と、過保護は子供を不幸にする 」でリンクした実験と同じで、犬が怒る=攻撃性である。


子供の頃から親は自分の要求を聞く、その為に自分の序列が一番上であると思い込む。

それは、理屈ではなく感覚の世界での認識である。

ここから、理屈と感覚のギャップが生まれる。

子供の頃から、序列を感じていないと、理屈では分かっていても、感情として受け入れられなくなる。


そして、家庭と言う最小単位から保育園、小学校、中学校と上の学校に進めば、集団の単位も大きくなって行く。

その中で、生徒と教師と言う序列が存在する。


しかし、モンスターペアレントに代表される保護者によって、教師を生徒と言う序列が崩される。

子供は、そんな力関係を敏感に読み取り、序列の意識はいつまで経っても育たない。


そして、序列感覚が育たなければ、飼い主に怒る犬と同じ様に、感情的な「怒り」が始まる。

その一つが、「学歴厨」のような人の様に、学歴の無い人を見下し、自分の学歴より劣る人が上司にいると許せなくなる。


そして、そうした「学歴厨」にはニートやヒッキーが多い。

いや、ニートやヒッキーにしかなれない。


極論を言えば、自分より学歴の低い人を見下している人は、創業期の松下電器では働けない。

どんなに良い大学を出ようと、就職すると言う事は会社に従属すると言う事であり、そこの社長や上司が自分より学歴が低ければ、指示に従う事に怒りが出る。

上司の指示に従えなければ、会社を辞めるしかない。

そして転職を繰り返すが、中途入社で入れる会社に、一流大学出身の上司は滅多にいない。


我慢して会社に在籍していれば、継続的にストレスが溜まり精神のバランスが崩れる。


ちなみに、大半のニートやヒッキーは高学歴であり、いつも怒っている。


また、この序列感覚の欠如による怒りや攻撃性の原理で起きているのが、ネットいじめである。

自分が見下している人が自分より目立っていると感じたり、成績が抜かれたり、自分の欲しい物を持っていたりすると、犬の例と同じ様に「怒り」が出る。

その怒りによる攻撃性が「ネットいじめ」となって現われる。


ネットいじめは「厳し過ぎる教育と、過保護は子供を不幸にする」でリンクした実験映像 と全く同じである。

実験映像の「自己愛者に攻撃の機会を与える」場面と「ネットいじめ」は全く同じ状況である。


その延長に、漢字を読めない人を見下す傾向がある。

メディアでこの人は漢字を読めないと言っているのを聞いて、ごぞって馬鹿にするのと「ネットいじめ」何処が違うのだろう。


漢字を読めない人を、こぞって馬鹿にする人が「ネットいじめ」を無くす事は出来ない。

そこに疑問を持たずに、一緒になって馬鹿にしている人は、「ネットいじめ」に参加している人と同じである。

偉い人が漢字を読めない事を馬鹿にしていた人には、同じ原理が働いている。


漢字を読めない事を馬鹿にする親がいる以上、ネットいじめはなくならない。







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