「反創価団体の人も少し足元を見直してはどうだろうか? 」や「創価被害の見直しの必要性 」の続きになる。
自称被害者は、自分の代弁者となりえる団体を探し出して参加し自分の妄想を代弁させる。
これは言葉で説明しても分かり難いが、過去いろいろな所で繰返されて来た。
ネットの良い所は、調べればその片鱗が残っている所である。
例えば、Wikipediaで「集団ストーカー 」と検索しても、今は出てこない。
しかし、かつては激しいバトルが展開されていた。
同じ事が「はてなキーワード」でも展開されていた。
その編集バトルこそが現代社会の問題点であり、愛国系や右系、左系、反創価、反北朝、等色々な団体の問題点とも共通している。
まず現在のはてなキーワードの「集団ストーカー 」を見てみよう。
Wikipediaと同じく、ほとんど何も無い。
これが「今」しか見ていない状態。
今しか見ていない人には、そこに何が有ったか分からない。
そこで少し過去にタイムスリップ して見よう。
このリンク先で分かる事は、はてなキーワードの「集団ストーカー」は2004年には存在していた事。
そして、2004年の最初の過去履歴を見ると、そこに書かれている事は、リンク先のページに書かれている事の再編集でしかないが、編集者は客観的に書こうとしている事が伝わって来る。
それが2005年はリンクだけに変り、2006年に復活するのだが、そこには客観性が消えている。
そして「某宗教・公安」の文字が出現している。
(2006年6月の右上にある特徴的な「?」で誰が編集したかは察しが付いている)
ここで分かる事は、2004年に書いた人と2006年に右上に変な物を貼った人は別人であり、最初に編集を始めた人の方向とは別の方向に走り出したと言う事である。
そして2007年、新たな変貌が始まる。
2007年2月にの段階では、まだ両極の擦り合わせ傾向があったが、11月には否定的な物は極力排除されている。
その経緯は、いわし掲示板で片鱗が見られる。
私はROM専で編集にはノータッチだったが、当時編集に参加しておれれた「USER001」さんは今もブログを続けていらっしゃるので、当時の事はそのブログでも伺い知る事が出来る。
さて、ここからが本題なのだが、2007年11月に主に編集していたのは「Chartreux」と言う人物だった。
そして、編集内容は「AGSASの代弁者」とも言うべき内容に変貌している。
これこそが「病気の症状」である事に気付いた人はいるだろうか?
これが人格障害の人に見られる一つの特徴で「他人の自慢、所属団体の自慢」が多くなる。
心のメカニズムとしては、「こんなに凄い人を知っている私は凄い」から始まり、その人の言葉を自分の言葉のように話し、その人に近付き、その人に成り代わろうとする傾向が出る。
そう、ジョンレノンを殺害したマーク・チャップマンの様に・・・
その「他人の自慢」と言う行動を、目線を変えると同じ様な事をやっている人達がいる。
創価に代表される宗教団体だ。
「すばらしい人がいる」・・・・・同じである。
話をWikipediaに戻そう。
Wikipediaやはてなキーワードの編集の参加は、政治団体や右系団体、左系団体から環境団体等の活動に参加するのと同じ様な物である。
Wikipediaやはてなキーワードの編集合戦と同じ様に、掻き回すだけ掻き回して、最終的に削除に至る。
団体活動への参加で言えば、掻き回すだけ掻き回して、方向性が違った所で辞めて行くと言った所だろう。
しかし、削除されて終わったわけでは無い。
はてなキーワードで、削除する事になってから「Chartreux」氏は何を行なったか?
「集団ストーカー」と言うキーワードでは、編集合戦で「USER001」さんが、反論して自分がしたい編集を邪魔される。
そこで「集スト」「組織的ストーカー」等のキーワードを新たに作り、そこに「集団ストーカー」の内容をコピペした。
当然、反論者は誰もいない。
今では書かれていた内容は削除されているが、過去履歴で「組織的集団ストーカー 」で、当時行なわれていた事が確認出来る。
そして「ストーカー」と言うキーワードにも何気に参加して、痕跡を残して行く。
「はてなキーワードの過去履歴 」でも、2004年のリンク先は現実のストーカー問題のサイトだが、2007年には自称被害者サイトが付け加えられている。
それはWikipedia (集団ストーカー - ノート )でも同じ経緯をたどっていた事が分かる。
つまり、彼等の行動パターンは同じであり、それを長年繰返して来た延長線上にいる。
これが「自分の目的を達成するために相手を不当に利用する」と言う病状の現実世界の行動である。
これがWikipediaやはてなキーワードの最大の欠点で、誰でも編集に参加できる事が、せっかくのWikipediaやはてなキーワードを信憑性の無い物に変貌させられてしまう。
つまり、何処に異常者の妄想が織り交ぜられているか判別出来なくなり、それがミスリードを誘う。
同じ様な構図が至る所で起きている。
モンスターペアレント、コンビニ受診、クレーマー、ホームレス、派遣切り、等など。
到る所に潜り込み、自分の主張を代弁させ「自分の目的を達成するために相手を不当に利用する」と言う症状を発揮する。
例えば、派遣切りが問題になった時でも、本当に職に困っている人の中に紛れ込んでいる。
派遣切りで困っている人の要望に合わせた職を、ハローワークが用意しても応募者が少ない理由がそこにある。
ギャンブル依存で借金を重ねる「依存症」の人の借金を家族が肩代わりすると、何時までも依存症を自覚できずに借金を重ねてしまう人と同じ構図がそこにある。
ギャンブル依存で借金を作る人(依存症系派遣切りの人)は、借金を払えなくなると(派遣切りに遭うと)家族(支援団体)に「別の理由(嘘)」を言って金を払ってもらおうとする(仕事をもらおうとする)。
依存系派遣切りの人の場合は、意に沿った職しか興味を示さず、職に就くまで援助を求める。
その部分に対する意見は分かれるだろう。
「自分の食い扶ちは自分で稼げ」と言う意見と「弱者救済」に分かれるだろう。
しかし、依存症で有る事を自覚せずに要求を満たしていれば、依存症は治らず同じ事が繰り返される。
ギャンブル依存から抜け出すには、本人がどんなに困ろうと「それは自分の問題」として支援をしない事が鉄則である。
問題は、「ギャンブル依存」と言う問題を「ギャンブル依存」に限定して考えてしまう所にある。
心(脳)のメカニズムとしては同じで、違いはそれがギャンブルに出るか他の事に出るかの違いである。