最近、メインサイトのアクセス解析で逆リンで飛ぶと、反創価系や愛国系、右系等サイトで、集団ストーカー問題を取り上げていたりする。

基本的なパターンは、それらの人達の属する世界に自称被害者が紛れ込み、妄想の代弁者にさせようとしている事。




まあ前置きはこれ位にして、本題に入る。


最近、リチャー・コシミズドさんのブログを見ている事が多かった。

リチャードさんは独立等を掲げて活動されている方なのだが、そのブログで集団ストーカー否定論が書かれた途端、ブログ炎上状態になっていた。


炎上させていた人達は、それまで紛れ込んでいた自称被害者サン達。

そして、その人達はリチャードさんを見限って離れて行き、攻撃的な批判を始める。

その攻撃のベクトルは「相手をおとしめる」方向に働く。


それと同じ事が、至る所で延々と繰り返されて来た。


基本形は「溺れる者は藁をも掴む」

溺れる者とは「心に病を持った人」、藁とは「自分を助けてくれそうな人や団体」であり、藁も掴れると沈んでしまうし、藁が溺れる人になってしまう。


別に創価を擁護したり、庇うつもりは更々無いが、リチャードさんの所で起きた事と同じ事が、創価でも長年繰り返されて来ている。

そして、事件を起こしている創価信者は「溺れている人」である。


精神科医や心療内科医も同じ構図を持っている。

著作や評判を聞きつけ、多くの患者(溺れる人)が集まる。

すると、一人当たりの治療の時間が短くなり、患者から不満の声が出始め、ヤブ医者のレッテルを貼られる。

また、そうした人がネットで精神科を国家的陰謀の手先等と評判を流す。

時折、治療中の患者が町の中で人を刺したりする。

治療する精神科医が溺れてしまう事も珍しくは無い。


教祖が溺れていれば、ポアしたりサリンを撒いたり。

国家元首が溺れていると、ミサイルを発射したり核実験を行なったり虐殺したり。

幸い日本の政治形態は、総理が溺れたら辞める事しか出来ない。


そうした「溺れる原因」は家庭から始まる。



続く・・・




集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都