「まだやってたのか?」 で書いた2chの板 だが、また愉快な人が登場している。


「468」で、どうやら私の自作自演だと思っているらしい。

まあ、そんな人に何を言っても無駄だ。


ただ、私のそのメールが来た時期と同時期にそのメールは複数の人に送られている。

あのメールに書いてある「ニシメリン」をyahooで検索すると「ステキなDM大会 」と言うブログがHITする。

そこに、2007/5/28付けで同じメールが掲載されている。


私の所にそのメールが届いたのも同時期である。

ちなみに著書の出版は2007/9/10で、その時期には本は書いてもいない。



しかし、あの書き込みを見た感想は「平面だね~」である。

ステキなDM大会でも分かるように、元々は2007年の話だ。

それが再び登場しているだけで、2chの掲示板を見て「自作自演」と言う事は、時系列まで考えて無いのだろう。


「484」で、経緯を書いてはいるが、結局は「思った」だけである。

そして、こうして根拠を示す事がその人の頭の中では「あらさがしばかりやってる」と感じるのだろう。


「ローマ字で文章をうち正確にに漢字変換する・・なんて論理的に順序だてた行為をできませんよ」

この考えが、そもそもの間違いだろう。

それは逆である。

そうした、部分的な細かい所には異常な執着を見せるが、全体を把握出来ないのが特徴的な症状である。

精神疾患は言い換えれば脳の機能不全とも言える。

その脳の機能不全を起している場所により、機能している所と機能不全を起している所が有る為、一連の作業の中でも部分的に出来る所と出来ない所が出て、全体的にまとまりの無い物になる訳だ。


また、「本気で自作自演をやってる可能性については考えないのですか」

この思考パターンも特徴的だ。

「不可能」な事に対して「出来る方法を考える」と言う考え方と同じ発想だ。

そうした考え方が、様々な妄想を産む温床になり、似て非なる物を組み合わせた荒唐無稽な妄想を生み出す事になる。


そして、自作自演をするのは自称被害者の特徴でもある。

と言うより、「自分でした事の記憶が無くなり、誰かがしていると思いこんでいる」と言った方が正確かも知れない。


それは、記憶障害であり病気の症状でもある。


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