今回は、先日放送された「ためしてガッテン~脳科学で振り込め詐欺を撃退せよ 」と言う番組が、2/25に再放 送されるので、それを踏まえて人間のBIOSを説明していこう。

(為になるからお奨めです)


ここで書いている人間のBIOSとは、正にこれの事。

理性で分かっていても押える事ができなくなる衝動。


脳科学のように、アドレナリンだとかドーパミンなどが出て・・・と言った説明だと分かり難いので、プログラムに置き換えて説明している。


BIOSの基本は経験の多さだ。

極論を言えば、子供の頃からの小さな経験の積み重ねが多い人は精神疾患を発症し難く、経験の少ない人が精神疾患を発症しやすいと言う事である。


同じ「遊ぶ」と言う事でも、室内で遊ぶのと屋外で遊ぶのでは、脳に受ける刺激や脳の処理する情報量の多さがまるで違う。

屋外は肌で感じる温度変化や、草花や土の臭い、木の葉の音、五感全てから伝わる情報が多く、その情報を脳が処理するから当然脳は多くの情報を処理出来る様になるが、室内では五感から伝わる情報が少い。

子供の頃に、外で走り回って育った子供と、室内で勉強やゲームだけして遊んでいた子供とでは、脳の情報処理能力が違うのは当たり前の話である。


このように書くと、結構多くの人が「脳の情報処理=頭の良さ」と勘違いしてしまう。


このトンデモ人間考察で、ハードの部分と、ソフトの部分、そのソフトもBIOSや、OS、アプリケーション、データと分けているのは、そうした勘違いを防ぐ意味もある。

脳の情報処理の早さ=頭の良さではない、勉強はデータであり、データ量はCPU速度には関係しない。

勉強によって上がる脳の処理速度は「思考」に特化される。

総合的な脳の処理速度は、社会性やコミュニケーション力、適応力、危険認識の部分に現れてくる。


例えば、番組でも取り上げられていた「経験則」なのだが、小学校から中学、中学から高校、そして大学に入る時、環境が大きく変わる。

まあ小学校から中学の時は友人にもあまり変化が無いので影響は少ないが、中学から高校、そして大学となると、友人関係が一変する。

脳が、友人一人一人を経験則を使い、手抜きで処理していたら、進学などで環境が変われば経験則を使えなくなり処理する情報量が増え、その時に基本的な脳の情報処理能力が低ければストレスになり、高ければストレスをさほど感じない。


では、そうしたストレスが原因で病気を発症してしまった人はどうすれば良いか?

答は簡単、脳の総合的な処理速度を上げてやれば良い。

精神科医は「楽しい事を見つけなさい」と言うが、探して見つかるのなら誰も苦労はしない。


脳の基本的な処理速度を向上させる為には、自然を肌で感じる事だろう。

風を感じ、温度を感じ、臭いを感じ、光を感じ、音を感じる事だろう。

その中で、自然が奏でるハーモニーを肌で感じる事だ。

それが1/fの揺らぎと言う物で、それこそが自然の治癒力になっていると思う。

鬱病の人は結構あせりすぎの人が多く、すぐに結果を求めたがるが、家庭菜園で野菜などを作っていれば、あせっても野菜はすぐに実らない事を肌で知るだろう。


肥料を撒き、水をやり、害虫を取ら無ければ美味しい野菜は育たない。

種を撒き、芽が出た時は何故か微妙に嬉しい物だ。

そんな微妙な喜びの積み重ねが「収穫」と言う大きな喜びになる。

家庭菜園は「芽が出たら何故か嬉しい」から始まり、徐々に成長を心待ちして行く。

植物の成長を「観察日記」に書く事が、認知させる事にもなる。

個人的には「胡瓜」が好きだ。

胡瓜の収穫には笑いがある。

収穫が一日遅れると一晩でとんでもない大きさになってしまう。

それを見て、「デカ!」と言って笑った物だ。


そうした外作業をしている間に、肌が風や気温を感じ、光や音を感じて知らぬ間に少しづつ脳の神経ネットワークが作られて行く訳だ。

さらに、自分で育てれば、スーパーで安売りしている野菜の有り難さが分かる。

一本の胡瓜に込められた人の想いも判って来る。

本で読んだり、人から聞いて栽培農家の大変さを理解しているのは、知った気になっているだけで実際には何も分かっていない。

自分で作って初めて、作っている人の気持ちが分かる。

自分で作った野菜を「美味しい」と言って食べてもらえた時の喜びは格別の物だ。

そこで止まっていてはまだまだ50点、生産農家の人もこんな気持ちで作っていると感じられたら80点、その気持が分かり食べ残しを捨てる時に心が痛めば90点、3本100円で買ってきた安物の胡瓜にも生産者の心を感じて感謝の気持が生まれれば95点、たった一本の胡瓜から人のつながりを感じ、孤独感が無くなれば100点と言った所だろう。

そうした心の変化の一つ一つが、脳の神経ネットワークが形成されて行く過程で起きると考えている。

これも「型破りと形無し」の違いと同じ理屈でもある。

自分で栽培するというのが「型」で、自分で栽培出来るのに買って来るのが型破り、そして自分では作った事も無いのに買って来て食べるだけの人が形無し。


この家庭菜園的リハビリは、統合失調症の人にも有効なのかもしれない。

あくまでも「かも知れない」と言う仮説なのだが、統合失調症は発症後1年で脳細胞の5%が失われる。

その為に脳の機能障害を起している事も考えられ、脳の神経ネットワークを再構築する必要があるのではないだろうか?

脳は一部が機能を失っても、他の部分で補おうとするが、そこに神経ネットワークが形成されるまでに時間がかかる。

何もしなければ神経ネットワークは形成されないが、リハビリを根気よく続ければかなりの部分改善される。

今まで、鬱病や躁鬱病の人に、家庭菜園やガーデニングをさせるとかなりの効果が出ているが、まだ統合失調症の人に試した事は無いが、統合失調症の人に2~3年やらせて見るのも面白いかもしれない。



さて、話は変わって振り込め詐欺を少し考えて見よう。

番組では、経験則によって理性が怠けてしまうとされていたが、私の個人的な意見では少し違うが、最終的な結論は同じになる。

番組では「訓練」と言う解決策を報じていたが、それも一つの経験ではあるが、それは幼少の時からの経験値の積み重ねが無い人には有効なのだが、人間とは厄介な動物で、名前や形式が変われば別物と認識してしまう。

つまり、訓練しても新手が出来れば引っかかってしまう。


パソコンのウイルスと似た様な物で、ウイルスが出てそのウイルスのパターンファイルを入れればそのウイルスには有効だが、新種が出ればすぐに感染してしまう堂々巡り。

全く感染させない為にはネットから遮断するしかないが、ネットにつないで、ウイルスソフトも入れ無くても滅多にウイルスに感染しないパソコンもある。

それがMac。


Macに感染するウイルスはほとんどと言って良いほど無い。

理由はMacのシェアが低い事もあるが、Windowsと基本構造が全く違い、ウイルスが完成し難い構造になっている。

シェアも低く感染し難い構造であれば作る人もいない。

実に単純な理屈である。

人間も同じで、感染し難い精神構造になっていれば感染はしないと言う事だ。


何かあると「対策」、一つ対策したら必ず別の問題も起きる、そしてまた「対策」・・きりが無い。

そして対策に対策を重ねて、逆に息苦しくなってくる。

そう、Windowsのウイルス対策と同じ。


ならば、感染しないMacにすれば良い。

人間のMac化は単に「危険体験」と「危険認識」だろう。

恐らく現代社会の一番の間違いは、危険を排除してしまった事だろう。

一人が何かを危険と感じて、その危険を排除してしまえば、他の人の危険体験を奪い、危険認識も奪う事になってしまう。

小さな危険認識の積み重ねが「経験則」にもなって行く。


そして、危険認識よりも危険体験の方が重要だろう。

一度の危険体験は物凄い量の体験をする。

その一つが交通事故。

一回でも交通事故を体験すれば、警察の対応から保険屋の仕事、相手との交渉、そして略式裁判まで経験する。

これが経験となる。

この経験が有れば、オレオレ詐欺で騙そうとした瞬間に嘘だと分かる。

教えてもらって嘘と理解するのと、自分の経験から自分で嘘と見破るのでは「不安度」が違う。

あの番組で「分かっているのに脳が不安を感じる」と言う物を、私も2004年のワンクリック詐欺の時に目の当たりにしている。

私は事故の経験も有れば自己破産の経験もある、サラ金の取り立ても経験している。

だから、それがどんな物かも知っている。

その経験の元に「ワンクリック詐欺」の相談を受けていた。

だから、平気で相談先のワンクリックサイトの地雷も踏んでやったし、そのサイトのソースを表示させてからくりも分析したし、脅しのメールも何通も来たが、不安どころか結構楽しかった。

しかし、同じように相談サイトを開き「無視して下さい」とアドバイスをしていた人から相談が来た。

その人は自分も、ワンクリック詐欺の地雷を踏んで脅しのメールが来て怖くなってしまった。


その人は、あの番組で紹介されていた「前頭極」が働いてしまい、不安衝動が出てしまったのだろう。

だから、来ないと分かっていても不安を抑えられずに相談してきたのだろう。


しかし、私にはその不安衝動が全く無く、楽しささえ覚えてしまった。


「何故違う」と考えた時に、経験の差と言う答が出てきた。

特に、これ以上無いと思える「サラ金」の取立てを切り抜けて、その先の世界を見た経験が一番大きい事にも気付いた。

何て言うのかな?絶体絶命と感じた瞬間を生き抜いた快感とでも言うのだろうか?

あれだけ激しく取り立てに来ていたのに、債権社の一社が法的手段と言って裁判に持ち込んだ。

その時には「どうなるんだろう」と眠れない日が続いた。

裁判署への出頭の日、裁判所に近付くにつれ鼓動が早くなり、逃げ出したい衝動を必死に押えて出頭した。

その時相手の要求に「毎月1000円だったら払えます」と言い、相手の弁護士は「それは飲めない」と答えた。

そこで裁判長に「こんな時はどうすれば良いのですか?」と質問したら「破産宣告と言う手続きがある」と言われた。

そこで「では破産宣告します」と公言したら、相手の弁護士の顔が青ざめた。


その日のうちに、自分で書類を貰って3日後には自分で書類を提出して受理された。

そして破産決定。

すると、それまであれだけ怒鳴りまくっていた取立てが、掌を返したように頭を下げて来た。

「私の所だけでも毎月一万でも良いから、何とかなりませんか?おねがいしますよ~」

これは奴らの常套手段。


破産手続きに弁護士を使わず、自分で本を読みまくって勉強していたので、それは「判決後の約束は新たな契約」になり、破産の無力化を狙った物である事を知っていた。

そこで「いやね、前に支払いのご相談をした時に、こちらの経済状況に合った返済可能額を提示しましたよね(そこには月5000円)それを却下されて、怒鳴ったり、ドアを叩いたりの取立てが始まりましたよね、その結果の破産なので・・・」と言ったら、すごすごと帰って行った。


その時に、困難を切り抜けた時の達成感を味わった。

極度の緊張感の後の開放感は快感だ。

多くの人は危険を避けようと安全な道を選ぶが、それでは「極度の緊張を切り抜けた後の開放感」と言う経験が得られない。

それが、扁桃体からアドレナリンが分泌された時に「逃げる」事を選択させる。

逃げは脅えを生む。

安全に生きると言う事が「不安衝動」を生むのだろう。

その結果、常に新たな危険にさらされる結果となり、その事が精神ストレスを生む。


花粉症も似たような図式だ。

衛生的になり過ぎてしまった為の、抗体の過剰反応。

子供の頃から転んで、擦り剥いて、何度も傷口が膿んだ事もある。

体力仕事の時は小さな怪我は日常茶飯事、それを舐めて治していた。

グラインダーの削りカスが目に刺さった時も、針を使って自分で抜いていたし、釘打ち器で手を打ち抜いた時の銅のワイヤーも、人差し指の第一間接の骨の中に未だに2本刺さったままだ。

適度に「ばい菌」を体に入れていたのが良かったのかは知らないが、私は未だに花粉症とは縁が無い。




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