インドネシアから来た看護士さん達が、日本語研修を終えて介護現場などで現場研修に入った。


そのニュースを見ている限りには、結構良いかも知れない。

ひょっとしたら、想定外の効果が出るかもしれない。


介護技術とか介護知識とは全く別の、人間としてのコミュニケーション力がかなり高そうに見えた。

ちゃんと目を見て話そうとするし、言葉が分からない分、一生懸命向き合って聞こうとする姿勢。

そうした姿勢から受ける影響はかなり高く、それだけでどんな治療にも勝る。


別に日本人の介護士や看護士が悪いと言っている訳ではない。


同じ「真剣に聞く」と言う行為でも、日本語が分かる人と分からない人では、集中力が違う。

聞き取れなければ、聞きなおしたりもするし、意味が分からなければ、その意味を聞こうとする。

聞いている振りではなく、本気で「自分の話を真剣に聞いてくれる」と言う事は相手に伝わる。

目の真剣さが違う。


それが、想定外の目覚しい程の効果を生むかもしれない。

但し、その効果も「慣れ」と共に失われて行くかもしれない。



私がリフォームの仕事をしていた時、仕事の楽しみの一つに「お年寄りとの会話」があった。

現場のお宅には、昼間はお年寄りの方が一人で留守番をしている場合が多く、そのお年寄り達から色々な事を聞くのが好きだった。


シベリア抑留者だった人、戦時中はゼロ戦の設計、戦後はロケット開発に携わっていた人、硫黄島玉砕の生き残りの人、特攻隊だった人から、原爆の被爆者、全て生の声だ。

生活関係も、嫁に対する愚痴から、姑に対する愚痴、双方の人から話を聞くことで色々な人間関係がることを知った。

そうした話を、時間を忘れて聞いていた物だ。

話を聞くパターンは、お茶タイムで、最初にお茶を出された時の世間話からスタートする。

最初のお茶タイムの時に、お年寄りに人の話を真剣に聞くと、その時から毎日同じ時間帯は「お話タイム」になる。


お話タイムの時のお年寄りの方の顔は、辛い過去の話の筈なのに活き活きしていた。


他の職人が出したクレーム処理に行く時も、相手の話を真剣に聞くとすぐに問題は解決した。

それらのクレームの多くは、電話をしてもいい加減に聞いていたり、軽くあしらわれた事で怒りが爆発して、問題が複雑になっている場合が多かった。


話を真剣に聞いて、その場で対応すれば、最後は笑顔で終わる。

笑顔で終わったお客さんからは、一寸した仕事でも指名で仕事が入る。

その度、長話をして帰ってくる。


そのリフォームの仕事をしている時に、ある家族の人から言われた事がある。

「工事が始まってから、おじいさんが元気になっちゃって」・・・

そこの爺さんは、私が作業していると、仕事の事を色々聞いてきた。

作業中は、はっきり言って邪魔なので、少し大工仕事を「こう言う時はこうやって作るんだよ」と教え、端材を与えてやらせておいた。

その翌日から、現場に着くとその爺さんは長靴を履いてニコニコして待っている様になった。


どうやらお手伝いをしたかったらしい。

その爺さんが少し、本音を洩らした。

「家族は何もさせてくれない」

仕事を教えたり、話をしたりした事がよほど嬉しかったのだろう。

それ以来、弟子に教えるように扱った。

家族の「おじいさんが元気になっちゃって」と言う言葉は、その後に出た言葉だった。


しかし、最終日に丸太で組んだ足場の残りを解体に行くと、すでに解体してあり、その爺さんがそこに立っていた。

そして、一言「ワシがやっといたで・・」と自慢げに言った。

まあ、2階部分は前日に解体していたから高所作業は無いと言っても、足場丸太は結構重い。

その爺さんは、自分で解体して自分でフィニッシュしたかったらしい。

その、誇らしげな爺さんを見ていると「危ないから」って言えなくなり、「爺さん凄いじゃん!」と言ってしまった。

最後は家族総出で手を振って見送ってくれて、目頭が熱くなったのを覚えている。


お年寄りの話を聞いて、必要以上にお年より扱いしない事が如何に大切かをその時に実感した。




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