人間のパソコン的考察で言えば、思想や概念はアプリケーションに相当する。
そのアプリケーションは人間のBIOS的な男女の違いが考慮されていない為、男女平等と言うアプリケーションを元に作られている場合が多い。
前回、後半で男女の進化による違いに触れたのだが、これが重要な要素を持つ。
生物としての最大のBIOSは生存と繁殖であり、性的なBIOSはかなり強く影響する。
それは他の動物を見ても明らかである。
しかし人間は生まれてから「道徳」と言うOSをインストールされる。
道徳と言うアプリケーションは、人間が社会生活を営む為には必要なOSなのだが、道徳も行過ぎるとBIOSとのシステムエラーを起す。
その代表的な物が性的な抑制だろう。
私の持論なのだが、私は「女の乱れは世の乱れ」だと考えている。
男も女も母親と言う女性から生まれ、母親と言う女性に育てられる、
その母親となる女性の影響力は絶大である。
そう言う意味合いで、昔から女性に対しては道徳観念や貞操観念を強く教え込まれていたのだろう。
女性の肌の露出に関する規制的な道徳は、世界中共通しているし、現在でもイスラム諸国では顔を出すことすら許されない国もある。
男性のBIOS的に見れば理にかなっているが、女性のBIOS的には抑圧されていると言える。
それが男女平等、ウーマンリブ運動時代から、女性の肌の露出が多くなり始めた。
それもBIOS的に見れば当然で、動物的な女性のBIOSは「オスの誘惑」である。
これは、女性からすれば心外かもしれないが、ほとんどの哺乳類はメスが発情しなければオスは発情しない。
女性の意思はともかく、体やBIOSがそう言う構造になっている。
家庭で厳い道徳と言うアプリケーションをインストールされた女性が、その後に開放的なアプリケーションをインストールされれば、開放的なアプリケーションの方がBIOSに近い為、開放的なOSを優先させるのだが、常に「道徳」と言うアプリケーションとの競合が起き、やがてシステムエラーとなってしまう。
マスコミが報道する言葉もアプリケーションとなる。
その一つが「セクハラ」である。
人間のBIOSを考えると、このセクハラと言うアプリケーションも考え物だ。
確かに、職場などでのセクハラは禁止すべきだが、テレビなどでセクハラ問題が騒がれると、子どもにもセクハラと言うアプリケーションがインストールされてしまう。
しかし、卵を温める卵生動物から胎生動物に至るまで、最も原始的なコミュニケーションは「触れ合い」である。
この触れ合いによるコミュニケーションは、原始的で有るがゆえにとても強いBIOSになっている。
子どもがセクハラと言い出し、親子の触れ合いが無くなると、人の温かさを忘れてしまう。
セクハラと言うアプリケーションは、触られる事への拒否感を生み、知らぬ間に人の温もりを忘れ、社会に冷たさを感じてしまう。
人間が何かを認識する時、聴覚で感知し、視覚で認識し、触覚で確認する。
触れる事は人間にとって重要な確認作業である。