前回、少し野犬に触れたので少し過激な理屈をこねて見る。
闇サイト殺人事件や秋葉原無差別殺傷事件などの理不尽な殺人事件、その所業はまるでケダモノだ。
そこで少し人間という物を考えて見る。
もし、人間が餌さだけを与えられた情況で自然の中で一人で育った場合、人間と呼べるのだろうか?
狼に育てられた人間の話は昔から聞くが、それは人間と呼べるのだろうか?
完全な野生の人間は、もはや人間ではなくサル科のヒトと言う生き物でしかない。
サル科のヒトと言う獣と人間の違いは何だろう?
参考になるのは「野生児」とか「孤立児」言われる存在だ。
野生児や孤立児の多くは言語や学力を回復させるケースはあるが、社会性を持ち社会に復帰できたケースは見当たらない。
それは、人間に必要な物は「学力」ではなく「社会性」である事を示しているのではないだろうか?
そして、連続殺傷事件を起す犯人に共通している物も「社会性の欠落」だ。
社会性を身に付けなかった人間は、人間になりきれなかったヒトと言うケダモノなのかもしれない。
社会性を学ばせず学業だけを学ばせる事は、立派な人間にしようとしてケモノに育てているのかもしれない。