昨日、家内にフィリピンから電話が有った。


電話の内容は、家内の甥が自殺したとの内容だった。

家内の甥は娘と同い年の19歳だった。



結婚当初から家内とは意見が対立している事がある。

それがフィリピンへの送金。

「真に困っている時の送金であれば良いが、乞われるままの送金は相手を駄目にする」と言う私の主張と「困っているから頼んでくる」と言う家内の主張の違いだ。

結局、自分で働いて稼いだ金は好きに使う事で、家内は自分で稼いだ金をフィリピンへ送金していた。


その結果、姪はその金でブランド品で身を固めた贅沢三昧。

仕事もしていない。

向こうの家族は困り果てている。


そして甥は自殺。


その原因は、家内の送金にある。

フィリピンは未だに貧困国だ。

そんな社会の中で、その社会に応じた生活をしていれば問題は無い。

しかし、そこに自分で働いて稼いだ訳でもない金が入ってくる。

その中でその金は生活などに使われ、子供達はそこで育つ。

すると、その生活水準はその子供達にとっての基準になってしまう。

そして、自分で働き出した時に自分の稼ぎでその生活を維持する事は困難になる。

生活水準の基準はそのまま自己愛の高さとなり、その状態は自己愛が満たされない状態で異常性が出始める。


最初から分かっていた事なのに回避する事は出来なかった。

言葉の壁と言う問題はあるが、一番の問題は「プライド」だった。


フィリピン人の家内は、フィリピンが貧しい国で有る事は理解しているのだが、その事を日本人に言われる事に「馬鹿にされている」と言う感覚を持っている。

その為、現状を正確に理解させる事が非常に難しい。

そしてお金があるのに送らない事は「ケチ」と言われる事に敏感に反応していた。

結局、家内の見栄が向こうの家族を駄目にしているのだが、未だにその自覚すらない。





集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都