子供に適正な自尊心を持たせる為には小さな成功体験を積み重ねて行く必要がある。

スポーツでも練習しなければ上達しない、練習もしないのに「自分は上手い」と言っても誰も相手にしない。

そんな子に限って、自分は上手いと認めさせようとする。

実際にやっても上手く出来ないと道具のせいにしたり、何かにつけ言い訳をする。

その代表的な物が「厨」だろう。


小さな成功体験の積み重ねと言うバックボーンがあっての自尊心でなければ、中身の無い自尊心になってしまう。

中身の無い自尊心は、常に虚勢が必要になり、その事で多大なストレスを抱えてしまう。

正常な自尊心と異常な自尊心の違いは、自尊心と言う風船の中に「経験と実績」が詰まっているか「嘘と虚勢」が詰まっているかの違いで、他人の言葉で自尊心が傷付き風船が割れた時に違いが出てくる。


その代表的な物が自己愛性人格障害だ。

自尊心と羞恥心は表裏の関係にある。


私の所へ相談しに来た相談者(自己愛性人格障害、躁鬱病の人)等にする基本的な指導は「経験を積ませる事」だ。

中身の無い自尊心の中身を作る事を基本にしている。


面白い事に、中身が出来るとそれまでの自分が恥かしいと言う人が多く、虚勢も消える。


「経験を積ませる」と言う事のの中には「いじめ」も含まれている。

「いじめ」と言う言葉は主観的な言葉であって、単純化すれば「対人トラブル」でしかない。

それぞれの問題に対する固有名詞が付けられるから問題が複雑に見えているだけだ。


「いじめ」と言う行為自体はさほど問題ではない。

「いじめ」の一番の問題は「自分で解決出来ない」所にあり、それは「人間関係修復の成功体験が無い」と言う事だ。

人間関係の修復の成功体験が無ければ、人間関係が壊れる事を恐れるようになる。

多くの「いじめ被害」を訴える人は「自分は悪くない」と、一方的な「いじめ」を主張するが、その主張こそ原因となる要素が隠れている。


「無くて七癖」

自分では無いと思っていても人には癖がある。

その癖に気付かないから、自分は癖が無いと思っている訳で、それは自分が見えていない、自分の癖を直す気が無いと言う事でもある。


いじめ経験者で、友人が無く、友人なんか要らないと言っていた人で、職場でもいじめを受けていると言う人にこの理論を元に指導すると、友人なんか要らないと言っていた人が、友人を求めるようになり、職場でのいじめと言っていた物が消えた。

方法は簡単、トラブルを起した時、その人の主観的な意見を聞き、それに対し別の視点から見た異なる価値観を教えるだけ。


世界観へ続く


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