突拍子も無い事と思うかもしれないが「いじめ」の根本原因は、異なる価値観を認めない事。

歴史がそれを証明している。


19世紀の大航海時代で、ヨーロッパの国々が植民地化をした時、原住民を迫害した歴史と同じだ。

当時のヨーロッパの思想は、ヨーロッパ中心主義で、自分達の風俗習慣が全て正しく異なる風俗習慣は認めないと言った思想により、異なる風俗習慣を「未開で野蛮」とと言う価値観で、異文化を見下す物だった。

その中でモンターニュ等の思想家から、異なる風俗習慣も認めようとする文化相対主義が生まれた訳だが、相反する思想であり、その二つを統合して出来たのが社会進化論だ。


その社会進化論も、ヨーロッパは文明の頂点で、その他の国々は発展の途上にあると言うヨーロッパ中心主義から抜け出せていない。

そのヨーロッパ中心主義は白人至上主義として今でも残っている。



太平洋戦争の日本も同じような物だ。

敵国に対し「鬼畜米英」と呼び、占領したアジア諸国では天皇崇拝を強要し、中国人を「支那人」と蔑んでいる。


人間、何処の国でも思想や発想は変わらない物だ。

現在の日本人で、アメリカ人を「鬼畜米英」と呼ぶ人はいない。



何故なのか?

それはアメリカと言う国やアメリカ人を知っているからだ。


お互いがお互いの文化を知り理解しあえば、かつての敵国も友好国に変わる。

かつては魚を生で食べる事に嫌悪感を抱き、その習慣を「野蛮」と言っていた外国人が今ではすしを食っている。




そう言った自国中心思想の背景にあるのは、お互いを知らない事。

ヨーロッパも、シルクロード交易等で、アジアとの交流はあった物の交易を行なう物以外は聞き伝えでしか異なる文化を知る事は無い。

日本も300年の鎖国から目覚めたばかりで、海外への渡航者も限られた人しかいなかった。


どちらも同じ価値観を持つ集団の中で生きていた。


視点をカルトに向けても構図は同じで、カルトと言う同じ価値観の集団と見る事が出来、そのカルトであるオウム真理教が数々の犯罪行為やテロ活動を行っていた。


現在の「教育」も同じような構図になっている。

多様な価値観に触れなければならない時期に、進学と言う名の下に、同じ価値観の親を持つ子供が集まる「塾」に通う。

学校も、進学が基本の教育をし、勉強できない物に「おちこぼれ」と言うレッテルを貼る。


大航海時代のヨーロッパ中心主義と何ら変わらない。


問題を解決する方法は至って簡単なのだが、今の社会では無理だろう。


方法は簡単で、昭和30年代の世界観に戻す事。

子供は外で友達と遊びまくり、喧嘩をし、そして仲直りをして、家に帰ってからは適当に勉強し、家事などの手伝いをする。

そして、贅沢はさせない。

そんな生活を少なくとも小学校を卒業するまで続ける事だ。




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