この事件の犯人は、病的な心理を説明するのに使いやすいのでついつい多用してしまう。
今回はこの人の証言についてがテーマだ。
この人は「衝動的」に犯行に及んだと言う反面、凶器のエアポンプのホースは持っていた。
普通に考えれば、凶器を持って出かける事自体が計画的で衝動的と言う事と矛盾するのだが、それはこうした人にはよく見られるパターンでもある。
普段から、「この子さえいなければ」と考える自分と、「子供を愛する自分」の相反する自分の狭間の中で葛藤している場合が結構ある。
恐らく解離的な物だと思うのだが、その頃したいという自分が計画性を持ち、子供を守ろうとする自分がそれを抑制している状態で、衝動と言うのは子供を守ろうとする自分が消えた状態と考えれば判りやすいだろう。
これは、この殺人事件についての話なのだが、躁鬱病の人で解離性がある人は「衝動的」な行動を取った時の記憶が非常に曖昧になり、記憶が短期間で消えて行く事が多い。
そうした衝動的な行動をした時の感覚を、「白いもやに包まれた」とか「映画を見ているような感じ」と表現する人が多い。
もう一つの女児の事件は、かなり親しい人の犯行だと思ってはいる。
死体に目立った損傷が無いと言う事は、抵抗していないと言う事だ。
この事件は情報が少なすぎるので予測し辛いが、被害者の子供の目撃情報が正午まで出て来た事で、犯人も絞られてくるだろう。
犯行は正午から30分の間に行なわれていたと言う事であり、その時間は「お昼休み」の時間。
犯行日は日曜。
人通りの無い道、しかも雨が降っていた。
と言う事になると、犯人は正午まで病院の中にいて、昼休みの時間に病院の中にいなかった人物の可能性が高くなる。
私がこの事件に興味を持ったのは、最初の報道の時に「母と娘に二人暮し」と聞いた事だ。
色々な事件を調べていると、事件を起こす人も事件に遭う人も共通点がある事が多い。
それが「母子家庭や母子家庭に類する家庭」である。
(もう一つに幼少の頃の虐待を受けていた人と言う要因もある)
いや、こんな事を書くと母子家庭の人には非常に申し訳ないのだが、犯行を起す人の育った家庭に、多く共通している事は「教育熱心な母親と育児に無関心な父の家庭」、例外的な岡山のホーム突き落とし事件の父親は母親化している。
被害者になる人の家庭には母子家庭の割合が多い。
そんなデータを知ってしまうと、「母子二人暮し」と聞くと、「またか」と思ってしまう。
このメカニズムも研究済みなので、そのうち書くことにする。