今まであまり意識して考えた事が無かったのが「体温」。


犬や猫と一緒に寝ると動物の体温を感じる。

生き物は暖かい。


その暖かさを感じると、愛しく思える。


先日、相談に来た人から握手を求められた。

握手をする彼の手は暖かかった。


彼の手の暖かさを感じた時、安堵感のような物を感じた。


考えて見ると、最近は家族以外の人と肌が触れ合う事は滅多に無い。

家族同士でも体に触れる機会が無い家庭もある。


セクハラなどと言う言葉が蔓延している現在では、他人の体温を感じる機会がない。


しかし、子供の頃を思い出すと、私が子供の頃は一つの部屋で家族が川の字のように布団を並べて寝ていた。


冬は薄い布団でも暖房が無くても家族が寄り添って寝ると暖かかった。

いつも、家族の温もりを感じていた。


親が死んだ時、冷たかった。

その冷たさで、本当に死んでしまった事を実感した。

飼っていた犬が死んだ時も、冷たかった。

その冷たさを感じた時、悲しかった。


その悲しさは、冷たいから悲しいのではなく、その暖かさを二度と感じる事が出来ない寂しさだった。


先日大学時代のクラブの同窓会が有った。

旧友と過ごす時間は、若かった頃そのままに気持ちにさせてくれた。

旧友と別れる時、再会を約束し皆と握手をした。

その時に伝わって来た一人一人の温もりと握力が、自分の元気に変わって行くのを感じた。


人と触れ合い、人の温もりを感じる事の大切さを再認識させられた。




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