「良い子を演じる子供 」や「右傾化 」を書いたので、これに関係する「いじめ」についても書く事にする。
良い子を演じる子供は、本来の自分が出場所を求めている場合が多く、それが家庭外で自己主張の強さとなって現れる。
問題は良い子を演じる子供が「良い子」を演じ始めるのは、小学校に行く前からすでに演じ始めている事だ。
親の前では極度な自己抑制をし、その反動で親のいない所では自己主張が強くなる。
つまり、小学校へ行く頃にはすでに継続的精神ストレスを抱えている状態にある。
診断を受けている訳ではないのではっきりとは言えないが、その様な「良い子を演じる子供」には、学習障害?と思われる人が多い。
例えば、ある人は計算が出来なかったり、ある人は理解力が無かったりする。
これは、推測でしかないが、右傾化 で書いた「コルチゾールによる脳の障害」と考えれば合点がいく。
そうした事は誰も気が付かない、このブログで何度も書いているのだが、北海道大学の調査で中学一年で10.7%の子供が鬱又は躁鬱と診断されている。
その10..7%の子供は、親すらも気付かずに過ごして来たと言う事だ。
鬱や躁鬱は昨日今日すぐになるものではない。
継続的な精神ストレスが有って始めてなるものだ。
中学一年で10.7%と言う事は、それ以前から精神ストレスを抱えていたと言う事で、小学生時代やそれ以前から気付かれずに精神ストレスを持っていたと言う事である。
また、良い子を演じる子供達は、友人関係に対して何処か冷めた感覚を持っている人が非常に多い。
私が見て来た人と言う限定付きなのだが、「どうせ裏切られるんだから」と言う感覚を持っているようだ。
その反面、人との係りを求めていて、相反する感情が存在している。
現在の、子供の携帯事情を見ると、この相反する感情を両立出来るアイテムと見る事が出来る。
ここにも相反する感情と言う「解離」の一端が見える。
こうした「良い子を演じる子供」の親は、とても子供思いの親に見える人が多いのだが「親の理想とする子供」に育てようとしている場合が多い。
これは逆の場合で考えた方が分かりやすいのだが、虐待を受けた子供は自分が良い子にしていれば虐待を受けなくて済むと思い、親の望む良い子を演じるようになる。
これと同じ心理だ。
例えば「お絵かき」が好きな子供に「絵ばかり書いていないで勉強しなさい」と叱る。
子供は、叱られたくないから絵を書くのを止め、親の望むように勉強をする。
虐待を受けた子供が、自分していない事を「違う」と言っても、認めるまで殴られる。
絵が好きな子供が「絵を書きたい」と言っても、そんな暇が有ったら勉強しなさいと叱られ、勉強するまで許してもらえない。
同じ構図だ。
すると、子供は「言っても無駄」と、本心を親に言わなくなり仮面を被る。
中3少女が父親を殺してしまった事件 などはその一例だろう。
親子のコミュニケーションは子供のコミュニケーション力の基礎になる。
その親子のコミュニケーションが正常に育っていなければ、学校での友人関係のコミュニケーションに反映される。
「言っても無駄」と言う考え方は、相互理解の放棄であり、友人関係の冷めた感覚の基になってしまうと考えられる。
親が、自分の子供を「良い子」と感じるのは「親にとっての良い子では無いのか?と一度考える必要があると思う。
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