ある掲示板 の続きになるのだが、そこで紹介した映像を見ると、恐らく多くの人が「目の錯覚」と思うだろう。

しかし、これは「脳の錯覚」なのだ。


最初に「目の錯覚」と思ってしまえば「目」の事としてしか考えられず、この現象が「監視妄想」と関係していると言う発想は生まれてこない。


それと自称被害者達の妄想は同じで、別に特別な事ではない。


最初にどの様に理解するかで、その後の世界観が違ってくるだけの話である。

つまり、最初のボタンを掛け違えると全てのボタンがずれてしまうし、最初のボタンさえ間違わなければ順番にボタンを掛けて行けばボタンの掛け違えは起こらない。


その最初のボタンになるものが「社会性」である。


社会性と言う社会生活を営む上で一番必要な物を得られなかった為に世界観が狂いが生じている。

その社会性は、生まれた時から幼年期までに基本的な部分が作られ、少年期から青年期に多くの他人と接する事で複雑な社会性を身に付けて行くのだが、ここに立ちはだかるのが「偏差値教育」だ。


偏差値教育は、他人と接する機会を奪う。

このように書くと、塾などで・・・と言う人(親)が多いのだが、どれだけ多くの異なる世界観や価値観の人と接するかが問題で、塾等の様に同じ価値観や同じ世界観の人と多く接しても意味は無い。

更に、偏差値教育で画一化された社会の中では、異なる価値観や異なる世界観を持っている人に出会う事も少なくなって来ている。

そして、メールでは社会性は養われないが、メールで他人とつながっていると感じてしまう事もボタンの掛け違いと同じ事だ。




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