この事故のニュースを見てると「?」な気持ちになる。
確かに、出動しなかった消防や警察、行政にも問題はあるが、それ以前に「何故、冠水している所に突っ込んでしまったのか、もっと早く脱出しなかったのか?」と言う所に疑問を感じてしまう。
私自身、何度も水害は経験したし、東海豪雨も経験した。
冠水した道路で通過できる水量は、マフラーの高さまでだろう。
マフラーが水没すれば恐らくエンジンも止まるだろう。
昔、台風の時に当時住んでいた近くの交差点が冠水していた。
かなり判断に迷ったのだが、丁度10トントラックがその交差点を通貨したので、その後に続いて交差点を通過した。
私はトラック水を掻き分けてで来た道を通ったので通過できたが、後続車は戻ってくる波に飲まれて小船のように交差点を漂流して行った。
交差点を通過したまではいいのだが、次は踏み切りでつかまってしまった。
その踏み切りはその交差点を通過して300M程度の所にある。
その踏み切りは電車も来ないのに鳴り続け、遮断機は一向に上がらない。
水位はドンドン増えてくる。
前に10トントラックがいるので前には進めない、後ろの車はエンジンが止まり身動きが取れなくなっている。
私はエンジンが止まらない様に、ニュートラルでアクセルを踏み続けていたが、水位は上がり続けて、ドアまで達して来た。
頭の中では、ドアよりも少しでも水位が高くなったら、車を捨てて脱出するか、窓だけ開けて通行できるまで待つかの選択を考えていた時、前のトラックの運転手がトラックから降りて、遮断機を持ち上げて通してくれて、事無きを得た。
水位がドアまで達してしまったら、水圧でドアは開かなくなる、バッテリーが水につかればパワーウィンドウは動かなくなるから、そうなる前に窓だけは開けて脱出炉は確保しておく。
これは、車の中で考えていた事で、事前に知っていた訳ではない。
東海豪雨の時は、私の住んでいる団地だけ陸の孤島になっていた。
私の住んでいた団地の目に前に、決壊した「新川」が流れていた。
朝起きて、仕事に行こうと部屋を出た時の風景は今も忘れられない。
それまでの田園風景が海原に変貌していた。
家屋は屋根しか見えず、運送会社のアルミバンのトラックは屋根しか見えなかった。
ニュースを見ると、見慣れた場所で人が泳いでいた。
一番目に焼きついた風景は、水が引いた後の「泥」だ。
水没した道路には5~10cm程度の泥が積もり、異臭が立ち込めていた。
草も木も花も家も車も、全てが泥に覆われ、「泥色」一色の世界は異様な世界だった。
水が引いた後、近くのスーパーに行った。
そのスーパーは水没していて、駐車場に泥の山が積まれていたのだが、それは全て泥にまみれた商品だった。
その近くに、オープンしたばかりのベンツ専門の中古車屋があった。
全てのベンツは車内まで泥にまみれ、惨憺たる状況。
その中古車屋はそのまま廃業。
先の、踏み切りの事を体験した時に住んでいた団地で水害を体験していたので、東海豪雨の時に住んでいた団地を決める時には「同じ地区でも高い場所」が、団地を選ぶ条件だった。
おかげで、被害は免れた。
やはり、危険認識って大切だと思う。
一度、冠水した道路を体験すると、ガード下などの窪んだ道が冠水していると、最初からそこには侵入しないし、他の車が通るのを見て水位を確認してからでないと、通過しようとは思わなくなる。
他の道を探すか、車を高い所に止めて水が引くのを待つ方が良い。
助けを呼ぶ時間があったら、自力で逃げ出す事をしたほうが良いと思う。
車が動けす、水位が上がってくる時に最初に私の頭に浮かんだ事は、自分の車を捨てられない、濡れたく無い、遠回りは面倒臭い、そんなしがらみばかりが脳裏をよぎるのだが、冷静になるとそんな事は言っていられないし、少しの判断の遅れが予期せぬ事態を呼ぶ。
そもそも、最初から近付かなければ良かったと、車の中で後悔していた。
だから、今では通り道が冠水していたら、水位を見極めて20cm以上冠水していたら遠回りをする事にしている。