女性の名前の呼び方と、熟年女性の鬱には男性には理解出来ない関係がある。
一言で言えば「自己の存在」である。
鬱の一つの原因に「自己の存在を感じられなくなる事」が有る。
女性は、結婚すると苗字が変わる。
例えば実家の姓名が「鈴木花子」だとする、そして結婚して「佐藤」になったとする。
すると「佐藤花子」になる訳だが、結婚するまでの苗字は「鈴木」であり、「佐藤」は旦那の苗字である。
女性の場合、変わらずに存在を示す名前はファーストネームだけだ。
しかし、会社やご近所さんでは「苗字」で呼ばれる。
それは自分を示す存在では無く、旦那の家の一員としての呼称でしかない。
それが、夫婦仲が良くければ、それでも別の問題は無いだろう。
しかし、夫婦仲が冷めて旦那がファーストネームで呼ば無くなれば、自分を表す物がなくなってしまう。
男性は苗字も名前も自分を表す物で、どちらで呼ばれても同じだ。
その為、名前の呼ばれ方で自分の存在と言う物に違いが有る事に気付かない。
些細な事と思いがちだが、この「自己の存在」は、精神世界で非常に大きなウエートを占める。
度重なる連続殺傷事件の犯人や、掲示板で殺人予告をした犯人が口にする「注目されたい」と言う意識も、全てこの「自己の存在」に起因する。
そうした犯人は、ほとんど「孤独」であり、目立たない存在である。