27時間テレビを見ていたら「無差別殺傷事件は特殊な人間が起こした事件と思うか思わないか」と言う投票を行っていた。
結果は「思う」が9290票で38%「思わない」が14831票で62%だった。
番組で出てくる意見は、社会が悪い、教育が悪い、雇用が悪いなど様々な意見が出されていた。
しかし、どれも要素ではあるが原因ではないだろう。
こう言った無差別殺傷事件などを理解するには「衝動」という物を理解する必要がある。
彼等は理屈ではなく「衝動」を押えられずに行動を起している。
その衝動が何故怒るのか?それが問題なのだ。
まず、その衝動は、「人間が集団を形成する動物である」と言う生物学的な本能によって起こる。
人間は生れ落ちた時から人との係りを求め、社会の中の一員となるべく成長していく。
その成長過程で、社会の一員となる為に必要なプロセスがあるのだが「教育」と言う名の下にそのプロセスがおろそかにされる。
「教育=勉強」と言う考えが大間違いで、少なくとも小学生の間は勉強よりも遊びが重要である。
ゴッコ遊びの中には「社会性の模倣」と言う、社会性を学ぶ重要な要素が含まれており、その習得時期が少年期であり、覚えるべき時期に覚えなければ、後に覚えなおす事は至難の技になる。
その社会性を学ぶ時期に、ゴッコ遊びをさせずに勉強をさせると、社会性が育たないまま大人になってしまう事になる。
遊びと言っても、TVゲームには社会性に必要な要素は無い。
子供の頃にしなければならない遊びとは「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」等の遊びである。
こう言った遊びの中には、社会性を学ぶ為の必要な要素が詰まっている。
その要素とは「変わりばんこ」と言うルールで、それには「自己抑制」と「自己主張」が必要になる。
この自己主張と自己抑制も、1年程度では身に付かず、数年に渡り繰り返し学ばなければならない。
スポーツでも1年や2年では上達しないのと同じである。
「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」の重要性を、果たしてどれだけの人が理解しているだろうか?
TVゲームではこの社会性は身に付かない。
友達とTVゲームで遊ぶ時も「変わりばんこ」ではなく「対戦」で、「対戦」は自分が「我慢する」と言う自己抑制が育たない。
そして、「自己抑制や自己主張の正常な発達」と言う心のプロセスを知らない親は、ゲームで仲良く遊んでいるのを見て、誉めてしまう親さえいる。
それは、幼稚性の肯定となり、幼稚性を持ったまま大人になってしまう事になる。
そして、このブログで何度も書いている事なのだが、子供の携帯ほど子供の人格形成に害がある物は無い。
プロフは際限の無い自己主張の場であり、自己抑制を育む要素が無い。
携帯メールは、相手の表情や気持ちを理解する能力を奪う。
その結果、人の目や表情を読み取る事が出来なくなり、現実世界のコミュニケーション力に支障をきたす。
問題は、リアルの世界での経験や実績の量であり、リアルの世界での経験や実績が無ければ、自分に対する自信や存在と言うものが実体の無い物となり、とても崩れやすい物になってしまう。
そして、それがそのままその人の「自尊心」となる為、すぐに自尊心が傷付いたり、自尊心を無くしてしまう。
自尊心を無くすと言う事は「自己の存在が無くなる」事と同じで、自己の存在感が無くなれば、自殺したり、自己の存在を認めさせようとする衝動が発生する。
無差別殺傷事件はその衝動の出方の一つでしかなく、突発的な自殺も要因は同じである。
最近起きた無差別殺傷事件やバスジャック、全てに共通している事が「親から叱られる」等、自尊心が傷付く事を原因としている。
そして、いじめによる自殺も、同じく自尊心が傷付く事により起きている。
先日、ニュースリアルタイムで、相次ぐ少年犯罪についての番組アンケートを行っていたのだが、その中で気になった意見がある。
「最近の事件は親子関係や本人に問題がなさそうな家族が多く戸惑う」・・・
これを聞いて、私などは「え?!」と思ってしまう。
子供に対する親の過干渉、甘やかし、過ぎたる教育、十分に問題だらけなんだが・・・
「親」と言う字は「木」の上に、「立って」「見る」と書く。
「親」と言う字からすると、現代社会でどれだけ「親」と呼べる人がいるだろうか?
教育に問題があると言う意見もあるが、教育以前に家庭の問題だろう。
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