中3の少女が父親を殺害してしまった事件、未だに動機が不明と報道されている。
しかし、過去の相談者や、調査依頼者などの体験談と照らし合わせると、ある程度は想像が付く。
TVの取材は現状での取材が主だが、恐らく問題は小学生時代もしくはそれ以前にあると思う。
まず気になる点は、この少女は小学4年から中学受験の為に勉強熱心で塾通い。
そして、少女と母親の話の相違。
少女は「勉強しろと言われるのがうっとうしかった」と言い、母親は「厳しく勉強しろと入っていない」と言っている。
また、少女は「父親とは普段からあまり会話はなかった」と言い、母親は「親子の仲は良かった」と話す。
そして、一緒に買い物に行ったり、一緒にカレーを作ったりしている。
少女の友人の話も、「いつかはやると思っていた」と話す子もいれば、父親と仲が良かったと話す子もいる。
多分こう言った情報を聞くと、何がなんだか分からない人が多いと思う。
しかし、過去の相談者や調査依頼者の中には同質の人は数人存在している。
そう言った人の話しから、この人をそれらの人と同質と考えると、要因は小学生以前にさかのぼるだろう。
まず、「勉強しろ」と言う話なのだが、親としては現在は言っていないかもしれないが、中学受験をしている時には言っているはずである。
言っていなければ、中学受験などさせないだろう。
その後の二面性を考えると、この時かそれ以前に「仮面」を付けていたと思われる。
この「仮面」とは、過去の相談者などの話でもよく出てくる物で「良い子にしていれば怒られないし叩かれない」だから、良い子の仮面をつけて生活していたと言う話を良く聞いた。
そして、それは親に対する尊敬と軽蔑、愛情と憎悪の葛藤でもあり、その憎悪の中に被害妄想が生まれている。
つまり解離的な話である。
また、そう言った人は必ずと言って良いほど、その後に鬱や躁鬱を発症しているし、誰が好きで誰が嫌いか等の愛情の感覚さえも麻痺している人すらいる。
そう言った人は、愛情や憎悪の感情を別の感情と混同する場合が多い。
例えば、必要とされていないと思い込んでいる人に「君の力が必要」等と言うと、それを愛と錯覚したり、悪い点を是正しようと注意すると、それを憎悪と感じたりする。
そう言ったパターンをこの少女に当てはめると、追試を無断欠席した事に対する被害妄想的な強迫観念に囚われた結果、その精神プレッシャーにより父親が家族を殺す夢を見て、解離状態のまま殺害に及んだのではないかと推測される。
※勉強している子供に勉強しろと言う事も一種の人格否定で、子供の自尊心を傷つける行為である。
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