ニュースZEROを見ていたら、秋葉原事件の加藤容疑者に対するネットの論議について取り扱っていた。


ナニナニ、同調する若者が結構いるって?

まあ当然の事だろう。


「波」の理屈で言えば、「共鳴、共振」だ。

共鳴すると言う事は、同じ様な境遇や心理状態にあると言う事だ。


それは事件を起こす予備軍と言う事ではなく、自尊心や孤独の部分で共感しているのだろう。


自尊心とは、自己肯定の為に必要な感情で、情緒を安定させる為に必要な感情だ。

その自尊心が失われている人は、恐らく社会での孤立感を味わっているだろう。


自尊心が失われると、鬱になりやすくなる。


加藤容疑者も、ネットでも相手にされず、自己肯定ではなく自己否定をしている。

自己否定をしている人は注目を浴びたいと言う強い願望を持つ。

加藤容疑者は、その願望を実行に移した。


同じ様な境遇にいる人は、そう言った行動に自分を重ねたく思うだろう。

加藤容疑者も同じで、直前に起きた小学生への車突っ込み事件や、通り魔事件に共感して事件を起こしている。


問題は、その自尊心の持ち方だ。

良く聞く言葉に「歯車」と言う物がある。

この「歯車」と言う感覚の自尊心が自己否定的な自尊心になる。

歯車とは言え、歯車が無ければ機械は動かない重要な部品だ。

一台数千万円の、建設機械も一つ100円程度のパッキンが無くても動かなくなる。

その事に自負を持てば、自己肯定的な自尊心になる。


自分が単なる歯車だと感じていれば孤独だろうが、機械を構成する歯車と感じていれば孤独ではない。

機械に組み込まれた歯車は、必ず他の歯車と噛み合って動いている。

それが、孤独と感じるのは、他の歯車と噛み合っていないと言う事であり、それは壊れた部品と言う事でもある。






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