昨日、著書の中で「電波攻撃でテレビを映らなくされた」で書いた人から連絡が来て、「防犯カメラはもう必要ないから取り外して欲しい」と連絡が入り、その人の所へ行った。


その人は、ほとんど寝たきり状態になり、言葉もろくに話すことさえ出来なくなっていた。


この人に初めて合ってから、7年の月日が流れている。

その中で、防犯カメラを設置してから5年で、その翌年から言葉があまり話せなくなったそうだ。

この人とは、5年振りに会った。


ただ、以前のように「狙われている」と言う被害妄想は消えていた。


私はこの人は「痴呆」だと思っている。


果たして「被害妄想を消した事が良かったのだろうか?」と、ふと考えてしまった。

被害妄想があったから、緊張状態を維持し、痴呆の進行を抑えていたのではないだろうか?

歪な考えではあるけれど「多くの人に狙われている」と言う被害妄想が、独居老人の「孤独」を紛らわしていたのではないだろうか?


被害妄想を無くせば、不安感が無くなり、心に安寧が訪れると思っていたのだが、独居老人と言う特殊性を考えた場合、果たしてそれが良かったのだろうか?と疑問を抱いてしまう。


「狙われている」と不安な日々を続けて、痴呆の症状を遅らせて、不安なまま逝かせた方が良いのか?被害妄想を消して、孤独感を味わいながら逝った方が良いのか?


問題は、そう言った独居老人の心のケアを行う社会体制の不備だろう。




集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都