また悲惨な事件が起きてしまった。
最近、こう言った異常な事件が多い。
こう言った異常な犯行に共通している事は「拒絶」だ。
身内からの拒絶、社会からの拒絶。
そして、この拒絶は実際の拒絶だけでなく、思い込みの拒絶も同じで「拒絶の体験」と言う点で全て共通している。
例えば、中学や高校まで親の保護下で甘やかされて育った人が、就職などを決めかねていた時に、親から「早く進路を決めろ」と即される。
こんな普通の事も、それまで「親」が甘やかして育てた子供にとっては「拒絶」になってしまう。
学生の時は「偏差値」などで、進学できる学校の指標がある。
親も、あそこの中学、あそこの高校と言へ行く為、あそこの大学へ行く為等と子供に目標を与え叱咤激励しながら勉強をさせる。
しかし、社会へ出る時には「早く決めろ」「何処へ行くんだ」「何がしたいんだ」等と具体的な指標を与えない。
いつも「ここまでおいで」と両手を引いてもらっていた子供が、いきなり「ここからはお前一人でやって行け、自分で決めろ」と突き放される。
それが子供から見れば「拒絶」になる。
これは一つの例にしか過ぎない。
その他にも、兄弟が生まれた時に、愛情が取られたと言う「拒絶感」もあるし、親の離婚による拒絶感など、様々な拒絶感がある。
そう言った拒絶感に精神的なホローがなされていれば問題ではないのだが、精神的なホローがなされていなければ拒絶感がもたらす変化がおきる。
それは、感覚に異常をきたす。
人は拒絶を体験すると、痛み対する感覚が鈍感になる。
痛みに対して鈍感になると、共感性が失われ人の痛みを理解する事が出来なくなる。
そして、拒絶を体験すると、社会に対して反感を覚え、妄想が始まる。