波も、振動エネルギーである以上、質量保存の法則やエネルギー保存の法則を有する。


これは「いじめ」問題も同じだ。

異論はあると思うが、双方共にエネルギーを放出しなければいじめは起こらないはずである。


「実験で見る精神の成長」の赤ちゃんの実験は、赤ちゃん特有の能力の発見ではない。

それは、人間本来の「理解」という物を分析する上で、ピュアな存在が赤ちゃんであり、人格の基礎を成す最初の状態が赤ちゃんであるだけで、それは大人になっても理解のプロセスは同じである。


そして、「いじめ」の発生を最もピュアに観測できるのが、ネットの掲示板である。

これは「いじめの縮図 」でも書いた事なのだが、インターネットの掲示板は、現実世界ではどんな人であっても、ネットの世界では一切偏見の無いピュアな存在として登場出来る。

容姿も、臭いも、外見的な要素や過去のしがらみは一切無く、、年齢や性別さえも「自己申告」の世界だ。
そしてネットを観測する最大の利点が、過去を見る事が出来る事だ。


現実世界では、過去に戻る事は出来ないし、事実関係を確認する事も困難な為、いじめの発生するプロセスを正確に観測する事が出来ない。

どちらの言い分が正しいのか、言っている事は本当なのか、どちらが最初に原因を作ったのか、そんな事をお互いの言い分で判断する事は結構難しい、どうしても被害者と思われる方に同情してしまい、本質を見逃してしまう恐れがある。


本質的な部分を見抜く為には、いじめ問題を単純化する必要があり、それにはいじめに至るピュアな人間関係のプロセスを知る必要が有り、それにはネットの掲示板が最適だった。

そこで、役に立ったのが「aybackmachine 」である。

すでに流れて見られない消えた掲示板や、閉鎖されてしまったサイト(リンク先等)もここでかなり見る事が出来た。


そう言った観測をすると面白い事が判ってくる。

ネットの中で叩かれるパターンは数種類あるが、基本は「場にそぐわない不快なエネルギー」を発すると言う点で共通している。

ピュアな状態として単純化して見ると、叩かれる事と同程度の「不快なエネルギー」を自分で発している事が判る。

私は、その「不快なエネルギー」を不協和音と呼んでいる訳だ。

つまり「いじめ」問題でも「いじめを受ける量」と同程度の精神エネルギーが、本人から発せられていると考えられる訳だ。




集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都