このブログでは、人格が形成されるまでの携帯電話や、メールの使用はコミュニケーション能力の発達の妨げになると言った事を書いて来た。
今回は、それを裏付ける実験の紹介だ。
他人を理解する上で最良の方法は、相手の行動を注意深く見る事だ。
特に、視線は重要である。
ダルハウジー大学で、生後7ヶ月の赤ちゃんと、生後10ヶ月の赤ちゃんを使って、視線に関する実験が行われている。
横に犬のぬいぐるみを置いた状態で、赤ちゃんと正対して実験を行う。
最初生後7ヶ月の赤ちゃんに、「いないいないバー」を数回した後に、横の犬のぬいぐるみに視線を向ける。
7ヶ月の赤ちゃんでは「視線を追う」事はしない、つまり7ヶ月の赤ちゃんにとって「視線をそらす」と言う行為は、関係の遮断でしかない。
その為か「いないいないバー」の時は、嬉しそうな表情をしていたのに、視線を犬見向けたらつまらなさそうな表情になる。
10ヶ月の赤ちゃんでは、視線を犬のぬいぐるみに向けると、その視線を追う。
その赤ちゃんは、視線を追う事で犬のぬいぐるみを見る事が出来た。
そして、犬のぬいぐるみと研究者の顔を交互に見て大はしゃぎをしていた。
この実験で、生後9ヶ月から12ヶ月までに他者の視線を追う能力を得ると結論されている。
視線を追う事が出来ると言うだけで、コミュニケーションが成立していた。
ドイツのマイケルトマセロ研究所では、壁に星型を付けて実験を行った。
研究者が、壁についている星に視線を向けて、赤ちゃんが視線の意味を理解しているかの実験だ。
研究者が見ていたのは「壁」なのか「星」なのかちゃんと理解しているか調べる実験だ。
生後12ヶ月の赤ちゃんは、研究者が見ていたのは「星」であると理解していた。
また、壁の後ろにおもちゃが置いてあり、壁の後ろに視線を向けると、その赤ちゃんはハイハイしながら壁の後ろまで見に行った。
つまり、視線の持つ意味(相手の意図)を理解していると言う事である。
また、指差しについても同じである。
クイーンズ大学で面白い4つの実験が行われた。
生後5ヶ月の赤ちゃんに、母親が表情豊かに話しかけると赤ちゃんは楽しそうに母親を見ている。
しかし、突然母親が無表情になると、赤ちゃんは笑ったり、声を発したりしてコミュニケーションを取ろうとするが、それでも母親が無表情を続けると動揺して泣き出してしまった。
つまり、母親が一方的にコミュニケーションを絶ってしまった為に動揺してしまった訳だ。
次に、生後6ヶ月の赤ちゃんのモニターを使った実験だ。
最初は、普通に写っている母親が笑って「ハ~イ」と言っているのを見て、赤ちゃんはご機嫌だ。
そして母親の映像を上下逆さまにして同じ様に「ハ~イ」と笑って語りかけると、赤ちゃんは困惑する。
つまり、同じ顔でも逆さまになった母親の顔を認識できていない。
三つ目の実験は、表情と声の実験だ。
6ヶ月の赤ちゃんに、楽しそうな顔で明るい声で話し掛けると、赤ちゃんは楽しそうにしている。
次に、悲しそうな顔で沈んだ声で話し掛けると、赤ちゃんから笑顔が消える。
そして、楽しそうな表情で沈んだ声を出しても赤ちゃんは困惑する。
最後に、悲しそうな顔で明るい声を出しても赤ちゃんは笑わなかった。
つまり、この実験で赤ちゃんは表情と声から相手の感情を理解している事が分かる。
四つ目の実験は、視線に関する実験だ。
母親が赤ちゃんに、視線を合わせないで話しかけると、赤ちゃんは注意を引こうとするが、それでも視線を合わせないと赤ちゃんは動揺していかにも不機嫌な表情になる。
これらの実験から、人間のコミュニケーションにとって表情と視線と声が他者を理解する上で、いかに重要であるかが分かる。
大人(親)はこう言った赤ちゃんの実験を「赤ちゃん限定」と見てしまいがちだが、こういった能力は一生物(いっしょうもの)である。
私がこう言った赤ちゃんの実験を参考にするのは、赤ちゃんには何の思惑も無いからである。
つまり、大人で同じような実験を行えば「見抜いてやろう」「いい結果」など余計な事を考えてしまう為、あまり参考にならない。
また人間の発達は一つの事項だけで成り立っているのではなく、他の事と密接な相互関係がある。
今回紹介した実験も、現実には「統計的確立的な状況分析 」で書いた事と密接に関係している。
つまり、表情と視線と声の関係のサンプリングの量との関係である。
小さな頃から携帯やメールを使う事は、こう言った表情と視線と声のサンプリングが得られないと言う事である。
つまり、表情などから相手の意図を読み取ったりする能力が未発達のまま人格が形成されてしまうと言う事である。
すると、社会に出て色々な人の表情に接すると困惑してしまうと考えられる。
私の個人的な意見としては、健全なコミュニケーション能力を養う為には、携帯電話やメール、ネットでのコミュニケーションの使用は15~18禁にした方が良いと思っている。
思えば、集団ストーカー被害者やそれに類する人達は、その「表情を理解する能力」に欠ける人が多かった。
多いのが、町の中で笑って電話をかけている人を見て「私を見て笑いながら電話している」。
私の事務所で相談している時に、電話がかかってきて、話している時に少し笑顔が出たら「今笑ったでしょ!何で笑ったの!」と、しつこく聞いてくる相談者。
昔は、それが病気の症状だと思っていた。
しかし、多分違う。
最近では、それが病気の原因だと分かって来た。
過去の話が聞けた調査依頼者や、相談者、治療中の患者さんには、必ずと言って良いほど、病気を発症する以前からコミュニケーションに対する苦手意識や、精神的距離感の未発達などが有り、本人にはその事の自覚が全く無かった。
例えば、「いじめ」を受けているとの相談者(依頼者)がいた、本人以外に話を聞くチャンスがあったので話を聞いてみた。
それで分かった事なのだが、その子は友達の家に遊びに言った時に、勝手に冷蔵庫を開ける子供だった。
しかし本人は、その事がマナー違反である自覚が無い。
そして、誰もその事を教える人もいない。
これは「自己認識2 」で書いた、サイズの違うおもちゃでも同じように遊んでしまうと言う事と「自己認識 」で書いた、カートを押せない子供と同じである。
つまり「他人の家でも自分の家と同じに振舞ってしまう」=「サイズの違うおもちゃでも同じように遊んでしまう」
「原因が自分の存在であることに気付かない」=「カートを押せない子供」という事である。
その子は、小学生の頃から友人の家でそんな事を繰り返していたらしい。
そして、子供である為に友人の親は、本人には口頭で注意をせず「しつけの悪い子」と認識され、家の立ち入りを禁止されていた。
その家の立ち入り禁止は、自分の子供に「連れて来ちゃ駄目」と言う形で行われ、学校で「遊びに行く」と言った際「来ちゃ駄目」と拒否、クラスメイトのお誕生会にもその子だけが呼ばれなかったそうだ。
そして、中学へ進学しても同じ小学校からの進学なので、状況は変わらず、いつも孤立。
そして高校進学なのだが、すでに長年の被害妄想で、いじめられていると感じていたらしい。
そして、「盗聴調査」の依頼から始まり、いじめ調査へと移行したのだが、出てきたのは上記のような内容。
とりあえず、最初に親にこう言った実験の話をして納得させてから、子供を病院へ連れて行った診断結果は「躁鬱病」・・・
予想通りの結末。
これは、一例のように書いているが、行為こそ違うが同じようなパターンが非常に多い。
幾つもこう言ったケースを目の当たりにすると、症状ではなく原因と思えてくる。
そして、そんな人たちの中で長年に渡り、電話相談してくる人がいるのだが、そんな人には新しい視点を教えたり、悪い所をズバズバ言ったりする。
特に、悪い所をハッキリ指摘してその理由も教える事を続けた患者さんに、再発する人は滅多にいない。
但し、素直に聞く耳を持つ人という条件付だ。