人間の別離不安 はその後の人生経験が健全な物であれば解消されると思われるのだが、そう簡単には行かないのが現実だろう。
パーソナル障害や躁うつ病の人の話を聞くと、幼年期からコミュニケーションが苦手な人が多い。
その後の人生経験とは、幼稚園や保育園から小学校、中学校、高校と4度の卒業を経験し、その間にもクラス替えやクラスメイトの転校などをで、出会いと別れ経験する。
しかし、コミュニケーションが苦手で、仲の良い友人が存在しない場合「仲の良い友人との出会いと別れ」と言う経験(感覚)を体験しないで育つと言う事である。
つまり、出会いと別れの経験値は幼年期のままであると言う事である。
卒業と言う体験の持つ意味は、それまで仲良く共に学んだ仲間達との別れを悲しみつつも、古い世界から新しい世界への旅立ちを果たして行くと言う物である。
仲の良い友人が存在せずに卒業を体験する事は、こう言った感覚が育たないと思われる。
別離不安は「見捨てられる恐怖」とも言える。
ある「躁うつ病」と診断された患者さんが、治療の甲斐あって病気が良くなって来て、週2回の診察を週1回にしましょうかと言われた時の反応が印象的だった。
病気が良くなり、週一回になるという事は、ある意味「卒業」と同じ意味合いを持ち、喜ぶべき事である。
しかし、その患者さんはとても暗い顔になり、不安を覚える。
そして、その感情を自分では理解出来ない。
つまり、潜在意識で「見捨てられる」と感じていると思われる訳だ。
その患者さんは、子供の頃からコミュニケーションが苦手で友人がいなかったと聞いている。
つまり「卒業」と言う概念が育っていないと考えられる訳だ。
また、過去の相談者にもそう言った人は多い。
そう言った別離不安を持つ人には一つの特徴が見られる。
自分から別れを切り出す事には別離不安を感じないが、最初は自分から別れを切り出していても、その後に相手から別れを切り出されると、感情の抑制が出来なくなったり、感情が不安定になる。
こう言ったタイプの人と別れる為には、相手が行った時に同意する形にする必要がある。
しばらく考えてから「別れよう」と言い出す事は、見捨てられる感覚になり、本人が言い出した時に同意する事は「切り捨てた」と認識する様である。
まあ「勢い」と言う側面もあるのだが・・・
この代表的な有名人が夫バラバラ殺人の「三橋歌織容疑者」である。
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