ヤマアラシのジレンマと言う言葉がある。
アニメのエバンゲリオンでも使われていたが、元々はドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話が元ネタだ。
内容としては「寒空の下身を寄せ合って暖めようと近付こうとすると、お互いの針で気付け合ってしまうので近づけない」と言う内容なのだが、自己の自立と相手との一体感のジレンマと言う意味だ。
躁うつ病や統合失調症と診断された人を見ていると、面白い現象が見られる。
例えば、躁うつ病と診断された人の親も躁うつ病と同じ症状を持ち、その恋人も躁うつ病の症状を発生、更に元カレや元カノも同様の症状が見られ、気になる人(波長が合う人)も同様の症状、そしてその家族にも同様の症状が見られると言った様に、関係者全員同じ症状と言う人さえいる。
これを、躁うつ病や統合失調症と言う「病気」としての視点からではなく「人格障害の伝播(主に自己愛)」と言う視点で見ると合点がいく。
こう言った人達は、どこか波長が合うのだろう、同じような波長の人同士で集まる傾向があるし、自己愛性人格障害などは親から子へ伝播していく。
自称集団ストーカー被害者達も、ネット上で自称被害者同士が集まり、その後にお互いを非難し始める。
その自称被害者と言う物は「色々な精神疾患の集合体」のような物で、一つの病気の集合体ではない。
彼等は、同じ波長の人同士で集まり「自己愛」と言うお互いの針で傷つけ合う。
便宜上、自己愛者と正常者と言う分類をして話を進めるが、実際には誰にでも自己愛はある。
基本的に自己愛は潜在的な物で、病気でも発症しない限り表面上は分からない。
自己愛者と正常者の違いは、単に「他人との距離感」の違いだ。
正常者は、何度も自己愛と言う針で傷付け合って、お互いに傷つけ合わない距離感を持っているが、自己愛者はその距離感を持たない。
その為、正常者は自分から距離を取るが、自己愛者は傷つけ合いを続け、精神ストレスを蓄積して行き、やがて精神疾患を発症する事になる。
その距離感は、コミュニケーションの量で決まる。
統計学のランダムサンプリングと同じと考えてよい。
一人の人とのコミュニケーションでは全体の人との誤差は大きいが、サンプリングの数を増やせば正確な数値に近付いて行く。
最初のサンプリングが、偏ったサンプリングならば、正常値に近付く為にはより多くのサンプリングが必要になる。
人生最初で、最大のサンプリングが親である。
今まで何人も、そんな状況で精神疾患を発症して行く過程を目の当たりにしてきた。
「ここで別れろ、今を逃すと自分も発症するぞ」と言ったポイントで、別れる事を視野に入れたアドバイスもしてきたが、中々聞き入れられる事は無い。
そして、少しづつ身体症状が出始め鬱に至っている。
その身体症状は、主に体調不良の様に感じているが、自律神経系の症状で、それが出始めると少しづつ欝の症状が見られるようになってくる。
多いのが、それまでは寛容だった人に「いらつき」が見られ始め、怒り易くなって来る。
その他にも、仕事中(ストレスを感じる原因の遭遇時)の急激な眠気などが起こり始める場合が多い。
本人に自覚が出た時点で病院へ行くと「鬱病」と診断されるのだが、初めから経過を見ていると鬱になる経緯が手に取るように分かり、どの時期から変化したのかが推測ではなく、観察と言う視点で理解できる。
鬱病に至る経過をリアルタイムで見る事が出来る所が、教師や医者との違いだろう。
余談だが、鬱病の自殺願望は結構知られていると思うが、女性の「躁うつ病」の場合、風俗に身を落とす人も少なくない。
そう言った人に色々話を聞くと「自分を貶める事」によって心のバランスを保とうとしている様にも見える。
例えば、親に「私はこんな事をしているのよ!」「貴方の思っているような良い子じゃない」と言う心の訴えが垣間見える。
自分を貶める事や自分を汚す事で、親に対する復讐と「こんな事をしている私を叱って」と言う「もっと私を見て」愛情の欲求が一体となった感情が見られるケースも多いが、本人がその自覚を持っている人は少ない。
それは、鬱病の自殺願望の変形と思われる。
次回は、距離感について書こうと思う。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都