今まで色々な人と組んで仕事をして来た。

そして色々な人の末路も見て来た。

自分も色々な事の渦中に居た。


そんな中で見つけた「悟り」のような物。


それは「自己満足」


誰かと組む時、商売であったり、バンドであったり、夫婦であったり、恋人であったり色々な場面で色々な人と組む。


その中で、様々な感情が生まれ、その感情がもつれて破局を迎える。

相手に何かをする時、見返りを期待してしまう。

それは、お礼だったり、謝礼だったり、行動だったりする訳だ。


しかし、その見返りが無かった時、感情はもつれ出す。

自分が相手に何かをする時に見返りを期待しなければ、感情のもつれは起こらない。

「~をしてやったのに!」「私がこんなにやっているのに!」そんな感情は、「何か(対価)を期待」しているから出る感情だ。

「相手に喜んでもらいたい」と言う感情でも、相手に「喜び」と言う対価を求めている。

しかし、相手が喜ばなかった時、対価に対する期待が裏切られる事になる。

これが、商売上のサービスであれば「金銭」と言う対価を得ているので、裏切られた気持ちにならないし、更に多くの対価を得ようとサービスの向上に励む。


しかし、友人や恋人などの「金銭」と言う対価の無い関係では「不満」が出てくる。

それが感情のもつれだ。



お互いが自己満足で相手の為に何かしていれば、感情のもつれも無く上手く行く。


そう言えば、似たような言葉が有った、「自己犠牲」だ。

感覚的には同じだ。


自己犠牲をWikipediaで調べると

「動物一般に、まず自己の生命が大事であるから、基本的に利己的なものと考えられる。自己犠牲は、何かをそれに優先させるのものだから、それが動物よりも優れた何かによるものだと考えられるからである」

と言う部分だけ見れば、この考えは人間らしさに一歩前進したのかな?と思うのだが・・・


それ以前に「ただこれは『自分さえ我慢すれば良い』と同義だとも考えられ、これが過ぎると自己を潰してしまうといわれる。」と書かれてあった。


潰れてます!

私はこっちだった。


まあいいか!

また稼げば良いだけだし、今年当たり新規事業を本格的に始めるか。

金はあの世まで持って行けない。

人生の最後に笑って死ねればそれで良い。



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