私は「人格が形成されるまでは携帯電話を持たすべきではない」と思っている。
今問題になっている「ネットいじめ」と言う問題も、極論を言えば「携帯電話を持っていなければ発生しない」のだ。
「人の目を見て話す」それがコミュニケーションの基本だ。
人の目を見て話すから、自分が言った言葉が相手を傷付けたり、傷付けられたりして、人への思いやりを学ぶ。
自分が言った言葉で、相手に傷を付けてしまうと、強がっていても自分の心も痛いものだ。
それは、現実の相手がいるから自分の心も痛くなる。
しかし、電話やメールでは相手の姿は見えない。
つまり、相手は器械でしかない。
機械相手に相手を思いやる心は育たない。
相手を思いやる心が育ってからなら問題はないが、相手を思いやる心が育つ前に、一方通行でしかない物を使えば、自分の心のはけ口にしかならない。
メールなどは相互通信に思いがちだが、基本的には一方通行な物を双方で行っているだけだ。
掲示板と言う物も一方通行である。
悪徳商法の告発掲示板なども有るが、その存在に疑問を抱く人は意外に少ない。
それに疑問を持てない人が問題だと思う。
確かに悪徳商法は存在するし、それを告発する事は、被害者を減らすと言う意味では間違ってはいない。
しかし、それは一方の主張と第三者で構成される。
「被害」と言う要素をなくせば、一方的な意見を元に大勢で相手を罵倒していると言える。
その動機は「気に入らない相手を糾弾する」その行為は「ネットいじめ」と何処が違うのだろうか?
やっている事は同じだ。
それを分けて考えるからおかしな事になる。
悪徳商法掲示板は、一見すると「悪徳商法を糾弾する」と言う「錦の御旗」が有るように見えるが、そんな旗はまがい物である。
双方の言い分が分からない物は、一方的な攻撃でしかない。
私にも色々と経験がある。
私は、通販もやっているのだが、以前「消火スプレー」を売っていたが、そのスプレーを買った客からクレームが来た。
そのクレームと言うのが、スプレーにはどんなスプレーにも書いてある「40度以上の部屋には置かないで下さい」と言う注意書きである。
その客が言うには「真夏の部屋なんて40度にはすぐなるじゃないですか!40度で爆発する商品なんて不良品じゃないですか」と言って来た。
爆発するなんて何処にも書いてないし、そんな表示は普通の表示だ。
勝手な解釈で、勝手に怒って、勝手にクレーム。
同じような事で、色々な掲示板で色々な事を書かれた事もあるが、当事者としての意見を求められた事は一度もない。
今でも、私の著書のアマゾンのレビューにも勘違いさんがいる。
本のレビューは、本を読んだ書評や論評を書く物だ。
そこに、何を勘違いしたのか「自分の主張」を書いている奴がいる。
本に書かれていない自分の主張の為に、一度削除されているが、削除の理由が理解出来ていないようだ。
何処かの掲示板と勘違いしている事を理解出来ていない。
そして今日また削除されていた。
恐らくまた「自己主張」して来るだろう。
経緯が分からなくなると、それを「圧力だ」等と主張し、自分の都合のいい様に書かれても鬱陶しいので、こちらにコピペ
しておいた。
結局ネットの世界とは、その程度の物でしかない。
人格形成が出来上がる過程で、こんな世界を垣間見ればその人の人格形成にも影響を及ぼすだろう。
こう言う話をすると「メールでもちゃんと気遣っています」などと言う人が必ずいる。
それは「分かっているつもり」になっているだけで、本当は分かっていない。
分かっている振りをしているだけだ。
問題は「分かっている振り」の自覚がない事だ。
絵文字で表現?確かに絵文字は表現を和らげる効果は有るが、そんな物は自己満足だ。
絵文字を打っている人が「ヒヒヒ」と笑いながら打っていても、そのメールをもらった人は、その相手の姿は分からない。
いくらでも「振り」が出来る。
このニュアンスの違いが分かる人は、多分本当に分かっている人だろう。
しかし、このニュアンスの違いが分からない人は、自分も「分かっているつもり」の人だと思う。
人格形成の時期には、相手の表情を読み取る力を養うべきで、文字の表情など読み取っても何の意味もないし、表情を読み取る力や、相手への思いやりを養う能力を奪う物だと思う。