人生、好きな事を仕事にすれば、楽しく仕事が出来るし、困難にも立ち向かえる。
そして何より人生に幸せを感じる。
それは、お金とは無縁のものだ。
そして何よりも向上心がある。
しかし、得意な事が好きな事とは限らない。
例えば「簿記」が得意な人に簿記が好きな人は少ないと思う。
将来の夢の為にする勉強と、とりあえず良い大学へ行って一流企業を目指す勉強。
そこには、大きな隔たりがある。
早い話が「意識」の問題だ。
少し毛色の違う話なのだが、私は昔エアロビクスのマネージャーをしていた事がある。
その時に、トレーニングなどの事について学んだ。
よく、ガラス張りのスタジオがあるが、あれには意味がある。
「見られている」と言う意識が、エアロビの効果を上げる為である。
ジムトレーニングも同じで、同じトレーニングをしていても、格段に効果を上げる方法が有る。
それは、頭の中で使っている筋肉をイメージしながらトレーニングする事だ。
毎日同じ時間、同じ回数トレーニングをしていても、使う筋肉を意識しながらトレーニングすると、筋肉の付き方がまるで違ってくる。
意と体の一致と言う奴だ。
勉強も同じだと思う。
目的意識を持った勉強は、勉強しろと言われなくても、自分から勉強する。
そんな勉強は、勉強している事が楽しい。
そして何より、覚えた知識を使いたくて応用も考える。
つまり、知識の使い方も同時に覚える事で、生きた知識になり、一生の宝物になる。
しかし、目的意識も無く勉強した物は、卒業と同時に結構忘れる。
高校の時に勉強した「微分、積分」を自分が親になった時に覚えている人が何人いるだろうか?
人間楽しい事にはあまりストレスを感じない。
壁にぶち当たっても、その壁を越える事が結構楽しい。
昔から「好きこそ物の上手なれ」と言うことわざもある。
ここに一つ、似て非なるものがある。
それが大学受験で、大学合格を目的意識と錯覚する事である。
大学などは人生の通過点でしかないし、大学へ行く事だけが夢の達成への道ではない。
大学を出なくてはなれない物は、医者位である。
大卒資格が必要ならば、通信大学もある。
パイロットでも、旅客機は無理でもライセンスを取る程度なら出来る。
中卒で、総理大臣になった人もいる。
偉人と呼ばれる人でも、学歴の無い人は多い。
偉人と呼ばれる人や、成功者と呼ばれる人が共通して持っている物は、教養ではなく「情熱」である。
つまり、勉強を強要するのではなく、何でも良いので情熱を持たせる事だ。
情熱を持って何かをすれば、自分から勉強するようになる。
親がするべきことは、親と言う字の如く「木の上に立って見る」だけでよい。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 001)/古牧 和都