娘が小学校の高学年になった時には、友達が極端に少なくなっていた。
その原因は、外人とか言われ始めてから、反主流派に属す事になり、その反主流派も親の引越しなどで最終的には3人までに減っていた。
そんな反主流派の中でも、自宅に遊びに来ると物が無くなったり、仲間割れしたりしていたが、それでも娘は仲裁約を止めてはいなかった。
その頃から、中学2年までの娘が写っている写真を見れば、娘の心の傷が分かる。
なぜなら、娘は自分が写っている写真の自分の顔の部分を削り取っていた。
この時点では、娘に何を言ってもあまり意味が無いことは分かっていたが、それでも「人は自分に無い物をうらやむ物だ」「人が指摘する事は、決して悪口では無い、それは長所でもあるんだ」「悪口と思うのはお前が思っているだけだ」等と言い続けた。
そして中学へ進学していくのだが、その時点で娘の心は頑なになっていた。
その事もあってだろう、少しでも嫌がることをやらせようとすると、体の硬直や過呼吸などの症状が出始めていた。
恐らく、学校でも自分の意図しない事をやらされると、体が硬直していたと思う。
それは、クラスメイトから見れば、スネているだけにしか見えないだろう。
言動も、自虐的な言動が強く出始めた。
話は前後するが、娘が幼稚園の頃から今でも欠かさず行っている事がある。
それは、帰宅後の一日の報告だ。
報告と言っても、かしこまった事ではない。
こう学校でどんな事があったのか?との友達とどんな遊びをしたのか?それを自発的に言ってくる。
私は、今まで一度もそれを邪魔にした事は無い。
そして、時にはアドバイスや注意を促して話をする。
それだけで、娘と毎日2時間は話をする。
そうすると、娘の変化や思想から友人関係の変化まで全て分かる。
そんな事を続けていれば、少しの変化でもすぐに分かる。
その頃は、神経症などと言う事までは考えも及ばなかったのだが、このままではヤバイと感じていた。
そこで、両親も他界していたので、実家へ戻る事にした。
つまり、転校である。
その転校の歳に、娘に一つだけ実行させた。
それは「コンプレックスの克服」だ。
娘の心の傷は「外人の顔」特に外人特有のおでこの広さと、肌の色だ。
そこで今までやってきた「真っ暗ゴッコ」が役に立つ事になった。
自己紹介の時に、自分で一番コンプレックスに思っている事を、自分でアピールして見ろ!と言い聞かせた。
そしてそれをギャグにしろ!
娘は転校の時の自己紹介の時に「おでこが広いからデコって呼んで!」と言ってのけた。
それが、ウケた。
それからと言うもの、今までと180度違う体験をする事になった。
以前の学校では「外人!」と悪口的な意味で使われていた言葉「何処の国とのハーフ?」と言う質問に変わった。
実際の所、娘はスペインとのハーフのフィリピン人と日本人のハーフである。
その血筋に「凄い」と言う声を聞いてからは、外人と言う言葉が娘の中では「悪口」と言う認識が薄れてきた。
毎日娘の口から出てくる友達の名前が増えて行く。
体の硬直や過呼吸の頻度が目に見えて減った。
新しい学校は、ハーフが珍しかったらしく下級生にも名前を覚えられて、下校時に窓から声をかけえられるようになり、皆が一緒に帰ろうと誘ってくれる様にもなった。
ただ、娘の中ではその劇的な変化に心が付いて行けずに戸惑っていた。
表面上は仲良くしていても、心は開かれていなかった。
まあ、一旦閉ざされた心がそんなに簡単に開かれる物ではないので、あせらずに同じ失敗は繰り返さないように誘導した。
集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 001)/古牧 和都