いじめられている人の意見やいじめ相談の回答などを見ると「疑問」を感じる事があります。
それは「個性として認めて欲しい」「個性として認めるべきだ」と言う事に疑問を感じるのです。
特に「無口」やそれに類する事に関しては、特に疑問を感じるのです。
話は変わりますが、私はフィリピン人と国際結婚をしています。
妻の親族からの質問で物凄いカルチャーショックを受けました。
私がフィリピンに行った時は、マルコス政権が倒れたクーデターの最中です。
最初に会ったときに聞かれた事が、「本当にお前は日本人か?アメリカ人じゃないのか?」と何度も聞かれました。
私には何の事か全く分かりませんでしたが、話をするうちに徐々に理解できました。
まず、その当時のフィリピン人は「日本人は赤ちゃんを空に放り投げ、銃剣で刺し殺す」と思い「日本人は怖い」と思っており、日本人は軍服を着て銃剣を装着したライフルを持っていると思っていたのです。
日本人は「軍服」と言うイメージしか持っていなかったのです。
何より「日本人は、赤ちゃんを刺し殺す怖い民族」と言われた時には、驚きよりもいわれの無い相手の言葉に悲しい気持ちになりました。
その、赤ちゃんを刺し殺すイメージは、戦時中から描かれている「反日の絵」に、放り投げた赤ちゃんを銃剣で刺し殺す姿が描かれていたのです。
当時はまだ日本とフィリピンの交流は少なく、戦時中のイメージだけで現代日本を全く理解していませんでした。
私は英語はほとんど駄目、ましてやタガログ語など話せませんでしたが、片言の英語と身振り手振りで結構話しました。
どうしても通じない時は、辞書を片手に、それでも通じない時は妻に通訳を頼んで意思の疎通を図りました。
一生懸命お互いを理解しようとすれば、結構通じる物で、現代の日本は戦時中の日本とは違う事を説明しました。
私が妻の実家に行った時も、近所の住人達が一斉に押しかけ、指差しながら「日本人だ、あれが日本人だ!」と騒ぎ出し、その人に目を向けると「ワー!」と叫びながら走って逃げていったり、妻の実家に入った時には日本人見たさのフィリピン人が百人以上集まってきて、とんでもない騒ぎになってしまいました。
正直な所「このままリンチにあって殺されるかもしれない」と言う恐怖感と「どうせ死ぬなら大和魂を見せてやる!」などと考えながら妻の実家に向いました。
フィリピンは日本に占領されていた歴史が有る国でありながら、日本人が珍しかったのです。
しかし、その時はまだ日本人を怖がっていて、最初は妻とその親族だけしか話していませんでしたが、話が弾み親族から笑いが出ると、一人、また一人と私に話しかけてきて、辞書を片手に必死に話していると、気がついた時には私の周りには、近所の人が取り巻いていました。
たった数時間のコミュニケーションで「赤ちゃんを銃剣で刺し殺す日本人のイメージ」が無くなり、今の日本を理解してもらえたのです。
翌日はシティーホールと呼ばれる所に行って結婚式をするのですが、前日には殺気まであった近所の住人が「俺達の客に何かあったらいけない、お前は俺達が守る」と言い、式場まで行くタクシーの前後を、ジープに乗りライフルや自動小銃を持って警護してくれたのです。
私は、この時にコミュニケーションの重要性を心底実感しました。
人と人とのコミュニケーションは「言葉」ですが、言葉が通じなくても「何とか相手に分かって貰おう」と必死に伝えようとすれば伝えられるのです。
このフィリピンでの話しでも「言葉が分からない」事を理由に、コミュニケーションを取らなかったらどうなっていたか分かりません。
「無口や口下手も個性だ、個性として認めろ」と言っても、コミュニケーションをとらなければ現代の妖怪 になってしまいます。