日本女性技能認定協会
サポート事務局 中條です(^^♪
前回から
私の10年間の心と環境の変化を綴っています![]()
その続きをお送りします![]()
→前回①
近所の子育て広場での
「おむすびの会」に参加したことが,
「おむすび」mikkiの始まりです。
この会で、3つのおむすびを結びました。
1つ目は、「ネガティブな気持ちで結ぶ」
2つ目は、「ありがとうの気持ちで結ぶ」
3つ目は、「近くにいる参加者さんの為に結ぶ」
3つのお結びは確かに私が作ったものですが、
味も柔らかさも全く違うものでした。
1つ目は、固く苦い感じがして
2つ目は、柔らかく甘く
3つ目も、とっても美味しかったのを覚えています。
心配や応援の気持ちが強いと
お結びは【プレッシャー】に変わり
愛や想いが強すぎると
お結びは【念】に変わることを教わりました。
このお話を聞いた時に
おむすびは
世界を変えるかもしれない![]()
と思い、
毎日おむすびを結び始めます。
この頃の子育ては、
子どもたちは
私が母でない方が幸せなんじゃないかな。
とずっと思っていました。
お結びを毎日作ることで、
何かが変わるかもしれない
と自分に期待していたのだと感じます。
太田華代さんのブログをで知った小島利恵さん![]()
小島利恵さんの心と身体の健康セミナーは
今の私の子育てや生き方の大元になっています![]()
利恵さんのおかげで
添加物、農薬、ワクチンなどが
体に危険なことを知り、
私なりに本を読んだり
他のセミナーなどで学び始めました。
この頃の私は、
絶対に子どもに添加物なんて食べさせない。
ワクチンも打たないと決めていました。
子どもたちにお菓子をあげる人たち、
夫、義母、実母は極悪だと思っていて
お菓子を与えるご近所に怒鳴りこんだこともあります(笑)
完全に
お菓子や外食を簡単にさせる他のお母さんたちを見下していました![]()
あたしは知ってるけど
あなたは知らないの?
勉強しないあなたは
ダメなお母さんね。
と、
誰かの上に立つことで
自分の居場所を見つけていたのです。
独身の時には料理は全くできなかった私。
「お味噌が作れる」ことなんて全然知りませんでした。
発酵のことは
添加物などの勉強をすると必ず出てくるのですが、
お味噌が作れる
と知ってからどうしてもどうしても作りたくて
小島利恵さんのお味噌作りに参加しました。
みんなで作るお味噌作りがとっても楽しくて、
利恵さんに横浜でもお味噌作りをしてもらおうとお願いしたのですが、
「美樹ちゃんが
お味噌作りの先生になってみたらいいんだよ。」
と言われました。
え?
主催なんて、先生なんて本当にできるの?
私に集客なんてできるの?
と、少しパニック気味で
とってもとっても不安でしたが、
翌年、おっかなびっくりで主催してみました。
この時の参加者さんは14名様でした![]()
(ありがとうございます
)
それから「また開催して!」
と言ってくださる方が多かったので、
毎年お味噌作りを開催していき
お味噌のmikkiが生まれました![]()
子育てに奮闘していて
なかなか家事ができなかったので、
食事が作れず夫の夕食は宅配弁当でした。
子どもたちは
毎日おむすびとお味噌汁をは食べていました。
朝も昼もおやつも全部おむすびとお味噌汁です。
(おかげ様で小学生になった今でもおむすび大好きです
)
今となっては、
おむすびとお味噌汁で十分と思えるのですが、
真面目だった?私は
「おかず」も作らなきゃという気持ちがありましたね。
おかずを作れないという申し訳ない気持ちと
長男のご飯をお惣菜やコンビニで済ませるこで、
とっても罪悪感がありました。
どうして安心して食べるものがないのだろう?
コンビニ食を食べさせる私は
なんてダメな母親なんだろう。
私は毒親だわ!!
毒親だと思われたくない!
絶対に思われたくないのに!
食事をするのに
罪悪感を持たせる食しかない日本は
なんて悪い国なんだろう。
だったら
私が罪悪感ないご飯を作ろう!
安心して食べられるお店がないなら
私が作ればいいとお弁当屋さんになると決めました。
(子育てセミナーの講師はどこ行ったのでしょう(笑))
お弁当には必ず「おむすび」を入れ、
無農薬で添加物のない材料を使い
我が子にも安心して食べさせたいと感じるもお弁当を作りました。
公にはできないので、
最初は友達にお弁当を
材料費のみで作り始めました。
料金は1個300円から始まりました。
(材料費にもならないですね(笑))
ありがたいことに、どんどん輪が広まり、
子育てセミナーで活躍されていた友達や
アロマのワークショップを開催している仲間に
お弁当をお届けするようになり、
1個1000円をいただけるようになりました。
(それでも足が出ていましたが…)
この頃は、
自分のやりたいことを見つけ、
やりがいがあり、
とっても楽しかったのですが、
全身全霊で作っていたので
お弁当を作った翌日は疲れて布団から出れなかったものです。
(ものすごい念がこもっていたかと…
)
それでも、
誰かの役に立ちたい
安心できる食べ物を届けたい
できる女になりたい
という気持ちだけで生きていたような気がします。
今日も読んでくださりありがとうございます。
次回に続く…
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