やったぞ村上春樹ー「ノルウエイの森」秘話 | 日本ファミリーオフィス協会

やったぞ村上春樹ー「ノルウエイの森」秘話

村上春樹さんがイスラエルの文学賞授賞式で、イスラエルのガザ地区への攻撃を非難した。これは身の危険を

省みずに正論を言った、誠に勇気ある言動である。


私は読書家ではないが、ハーバードに留学していた1991年に「ノルウエイの森」を初めて読んだ。作者の村上春樹氏がボストン在住だと知ったからだ。これはベストセラーになっただけあって、読むものを引き寄せるすごい内容だった。

読んだ翌日、同じ学科に外務省から来ていたO君に話したところ、何とこの小説の中に出てくる外務省に入ることになる「永沢」という人が実在の人物で、しかも0君の灘高、東大法学部の先輩で、さらに我々がいるハーバード東アジア科の大先輩であることも知ったのだ。この人は本名をSさんといい、外務省の中でも有名な方だ。


翌1992年の4月のボストンマラソンに村上春樹さんが参加することになり、前日にハーバードで「村上春樹を励ます会」がアメリカ人主体で行われた。私はもちろんその会に参加したが(残念ながらテスト期間だったのでボストンマラソンには参加できず)、村上さんにSさんのことを聞いてみた。「永沢」のモデルであることに否定も肯定もしなかった。


私は1992年6月に帰国したが、翌93年の夏にSさんに会いに北京大使館に行った。ちょうどO君も北京大使館に

いたので、Sさんには「会いたい」と伝言してもらっていた。北京飯店で待合せたが、「ノルウエイの森」で描かれているような超ハンサムな方ではなかったが、存在感はあった。村上春樹さんとの関係も伺った。小説の舞台は

やはり目白の和敬塾だった。しかし、小説の中で「永沢」さんがナメクジを飲んだと書かれていることは、やはり小説だった。


その後もSさんとは長い付き合いだが、ちょっとした問題があり外務省でトップになることはなかった。まだ中南米の大使をしているはずだが、そろそろ帰国だろうか。帰国後はまた会いに行ってみよう。