NCC-1960 Duke Kozai

NCC-1960 Duke Kozai

Weblog,the final fronteer.These are the voyges of the star ship Duke-Kozai.
It's continueing mission,to explore strange new worlds,to seek out new life and new civilization, to boldly go where no one has gone before. 

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1994年から20年近く続いている「開運!なんでも鑑定団」
多くの人が持ち寄る『お宝』を鑑定士が値付けし、その真贋に一喜一憂するおなじみの人気長寿番組です。
高級品に見える品物が実はとんでもないガラクタだったり、意外なところから歴史的な発見があったり・・・と、誰もが楽しめるところに人気の秘密があるのでしょう。

私達の周りにはコピー商品が溢れ、本物の意味が失われつつある時代ですが、それでも本物に出会うとそこから発せられる何かによって素人の私でも足がすくみ心が踊るような衝撃をうけることがあります。

島県鳴門市にある『大塚国際美術館』は1998年に国立新美術館がオープンするまで、その巨大な敷地とコレクションの特異性で現在でもなお日本最大級の美術館です。

広さはともかく、コレクションの何がいったい特異なのか?
じつは、ここに収蔵されている絵画のどれをとっても「本物」はひとつもない・・ということです。
つまり世界中に散らばっている名画を特殊技術によって陶器の板に原寸大で焼き付けた『陶板名画』の美術館なのです。

最初、この話を聞いた時は「本物じゃないって?な~んだ、ニセモノ美術館かぁ・・・」とガッカリしたものですが、じっさい見に行ってそれが大きな間違いだと気づいたわけです。

まず、入り口を通って長いエスカレーターを登り切ると足を止めさせるのが本物はバチカン宮殿にある「システィーナ礼拝堂」そのもののコピーでした。

私はいまだ、本物を見たことがないのですが恐らく現地で本物を見たことがある人でも息を呑むに違いないと思います。私はベンチに寝そべって絵を見上げて開いた口をふさぎませんでした。

さらにB3からB2、B1へと歩みを進めていくと名前も作者も分からないがどこかで見たことのある名画が次々に現れます。ここで面白いと思った事は、絵画につきものの修復、その前とその後が同時に見ることができる、さらに本物では絶対出来っこない「触れる」ことができる。

触れてみてわかったことですが、ここにある陶板絵画は筆のタッチまで忠実にコピーしていてモザイク画のタイルの凹凸や重ね描きした油絵具の質感まで感じることができるのです。

陶板は光にも強く退色しないため写真撮影もOK!
額縁も本物を忠実に再現しているので持って帰りたい!衝動に駆られます。

 

さらに世界中の美術館に散らばっている名画を一つの部屋に集めて比較することも出来、これが本物ならどれだけ世界中を駆け回らなければならないか・・フラ・アンジェリコ、レオナルド.ダ.ヴィンチ、ピエロ.デラ.フランチェスカ、etc・・・受胎告知ひとつをとってもここ大塚国際美術館でしか味わえない醍醐味と言ってよいでしょう!!

ったい本物ってなんだろう?
ニセモノには価値がないのか?
それは誰が決めるの?・・・歩き歩いた約4時間。
すべてを見尽くすことは出来ませんでしたが、いつもは眠っている右脳が全開になり本物と、そうではない物の価値観という仕切りが緩んだ一日でした。




達は皆、子供の頃から「ここで遊んではいけません」とか「静かにしていなさいなどと親や先生から繰り返し制限されてきたおかげでワクを超えて踏み出そうとする心をコントロールできる社会の一員「オトナ」になってきた。

もし、それを超えるならそれ相応の対価を支払い、時には取り返しの付かないことになるということをたくさんの経験から学んできた。

「仲間と協調する、道徳心を培う、時間や約束を守る」など、基本的なことから始まり法律や規則などの権威に敬意を持って服することが安寧な暮らしを保ち、平和のみならず自分の命を守ることにつながることを知っている。

戸内海のあらゆる島では瀬戸内国際芸術祭が開かれて多くの来訪者を受け入れている。
中でも安藤忠雄が設計した地中美術館はシーズンオフであっても直島に賑わいをもたらしている。

この地中美術館は自然の景観を損なうことなくいかにして人工物を構築するか…を考え、建物の大半を地下に創るという思い切った手法を取り入れている。
つまり、自然のルールに沿いながら人工物を調和させることに成功した見事な建築物になっている。

この美術館に展示されているいくつかの現代アート作品で、とても印象的な作品があった。
ジェームズ・タレルというアーティストの『オープン・フィールド』は、まず部屋の外で靴を脱がなくてはならない。そして一度に入れるのは8人となっているので順番待ちをしなければならない。まるで遊園地の人気アトラクションだ。

部屋に入ると黒い石の階段がありその先には青く四角いスクリーンが輝いている。
右側には案内係の女性が立っていていくつかの注意事項を述べたあと「階段を登ってください」と言う。

「へぇ、登ってもいいんだ・・・そっか、もっと近くで見てもいいんだ」と独り言をつぶやきながら階段をゆっくり登る。
最上段に行き着くと眼前には青く怪しく輝くスクリーンが迫っており不思議な気分に浸れる。

「私がここまでという所まで進んでください」案内の女性が言う。
「えっ?進むって?・・・これ、入れるの??」と思わず聞き返してしまう。

そう、ただの青いスクリーンだと思っていた『それ』には奥行きがあったのです。

普通の美術館なら作品に手を触れることなど禁じているのに、この作品はじかに踏み込んで私達を包み込んでくれるのです。

恐る恐る一歩、そしてまた一歩進むと視界のすべてが淡い青一色に支配される。
隣にいた人は「すごい、空の中に浮いている・・・」と言った。
「そうだ、ここには上も下もない今まで私を縛っていた物理法則さえ一切が無くなってしまった・・・」という空間に思えてくるのです。

しばらくして私は何気なく後ろを振り返った。
今まで立っていた場所が遥か遠くオレンジ色の四角い窓のようになって光っている。
「これって赤方偏移?」
物体の速度が光速に近づくにつれ光のドップラー現象が起きるって本に書いていたっけ。

もし宗教心のある人なら違う表現をしただろう。
「天国の門」、「三途の川」、「シェオル」あるいは「ハデス」・・・

供の頃から疑う余地もなく信じてきた数々の制限は、それを踏み越えることによって終末を意味し破滅をもたらすものばかりだった。だから制限を破ることに危機感を抱いている。

でも、一体誰がそう決めたのだろう?もしかしたら制限を突破することで破滅ではなく開闢がもたらされるのではないか?終末ではなく新しい始まりが待っているのではないのだろうか?

ジェームズ・タレルの作品は、作品が斬新で美しいだけでなく、私達が五感で認知している常識というものが実は心の奥深いところに後書きされた文章に過ぎないのだ、それは本来のあなたの姿では無く、本当のあなたは本棚の奥深くに隠されているのかもしれない・・・ということを気づかせてくれたように思った。







ほどの年齢になると周りではよく「孫が可愛くてね…」と言う話が多くなる。
いつまでも若いと思っていた私の同輩たちも、いつの間にやら好々爺の入り口に立とうとしているらしい。

私にはまだその兆しさえも無く、そのせいか目を細めて孫の話題に花を咲かせる人々の気持ちが理解できなかった。

る日、仕事帰りの船の中で三人のビジネスマンが孫の自慢話をしていた。
『自分が孫に何と呼ばれているのか、何を買ってやったのか、孫が歩いただの転んだ』だの聞いている方が恥ずかしくなるほど、大の男どもが嬉しそうに話を弾ませていた。

「たかが孫ごときに、なぜそんなに一喜一憂するのか?」…私は彼らの話に耳を傾けながら別の事を考えていた。

「もし、自分に孫ができたなら本気で可愛がれるだろうか?」その時の自分がどんな気持ちになっているのかシミュレーションしてみるためにイメージの材料を自分が人の親になったあの頃、初めて子供の父親になった1988年から引っ張り出して「孫とは何ぞや」と考えてみる。

男がまだ3~4歳の頃、よく家の前でボール遊びをしていた。プレゼントで買い与えたサッカーボールで暗くなるまで蹴りあったり投げあったりしたものだ。

自分の頭より大きなボールを身体全身で受け止める我が子に、父親は「これでもか!」と力いっぱい投げ返す。それでも負けない子に対して父親の優越感を感じながら自己満足に浸っていた私だった。

数年後、何かの折に妻からこんな話を聞いた。

「あの時ね、パパの投げるボールがキツくて痛くて辛いって私に言って来たのよ。もっと優しいボールを投げて欲しかったって。じゃあ、なぜ自分からパパに言わなかったのって聞いたらね、そんなこと言ったら、もう遊んでくれなくなるかもしれないから…だって」

ぼくは妻のこの話を聞いて鼻の奥が痛くなってきた。目に涙が滲んで返事ができなかった。
わずか3~4歳の子供がそこまで気を使わねばならない父親だったのか?自分は!
なんて自己中心的な人間だったのだろうか?

この事は今でも思い出すたびに過去を取り消したい衝動に駆られる。
「もっと優しくしてあげれば良かった。もっと子供の目線で遊んであげれば良かった」

自分の子供に後悔のない親はいないと思っている。
誰しもが若き日の、未熟だった自分がどんなに至らない親だったのか、理解できる年齢を迎える事になる。ちょうどその年齢にさしかかった頃『孫』と言う新しい家族に出会うのだ。


もしかしたら孫が可愛いのは自分の子供たちにイメージを重ね合わせているからなのかもしれない。

生の斜陽にさしかかり歩みを振り返る頃になって神は私たちにもう一度チャンスを与えてくれるのかもしれない。

「あの時、あなたがやり残した事。与え損なったあなたの真の愛情のすべてを注ぎ出しなさい。
      そこにいるのは、あなたの子。
               あなたの子孫である。」

来、私にも孫ができたならボール投げ遊びをしてあげようねぇ。
優しく、そっと転がすボールを追いかける孫の姿に目を細める自分が、そこにありますように…


だから言うけれど、僕にはつきあい始めて40年になる彼女がいる。

彼女と出会ったのは中学二年の頃だ。まだ大人の世界を知らない僕にとって年上の彼女は何もかもが初めての未熟な僕にいつも寄り添ってくれていた。

両親は、特に父は僕が彼女と一緒にいるのを見るや否や「遊んでないで勉強しろ!」と言いながらそのことを母に八つ当たりしていた。母はわざと見て見ぬふりをしていてくれた。そんな親の心配をよそに僕は彼女の魅力に取り憑かれ、どんどん深みにはまってしまう。
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彼女の声は美しく褐色の肌は艷やかで僕が彼女を抱き寄せた時、出会う前から決まっていたかのような、くびれたウエストのラインが僕の右膝にぴったりと収まった。

膝の上で横たわる彼女を僕は両手で抱きしめ、永い永い時間を部屋にこもって二人きりで共に過ごした。

冬の凍てつく日は冷えきった彼女の身体に僕の体温が徐々に伝わり、互いがひとつの体になっていく。
夏の暑い日も寄せあう肌と肌が汗ばみながらもその感触を楽しみ、触れ合いながら時を忘れた。

女との出会いは何気なく観ていた教育テレビ(現:Eテレ)の「ギターを弾こう」という番組だった。
今は亡きギタリスト、渡辺範彦が完璧とも言える最高のテクニックで奏でるJ.Sバッハのブーレは、それまで音楽嫌いの僕にとって革命をもたらした。たった2声の曲だが、絡みあう旋律が美しく昼も夜も頭のなかを駆け巡った。いつしか「あれをモノにしたい!」と思うようになった。

あれから40年。彼女は今でも僕の傍らにいてくれる。手を伸ばせばすぐ届く所で待っててくれる。ふと心が空虚になった時、内側に向こうとする弱った精神を美しい歌声で励ましてくれる。

艶やかな褐色の肌も甘い声も昔と変わらず僕のひざ上に横たわると、くびれた身体の感触は子供だった僕がときめいた日々、共に過ごした良きあの日に連れて行ってくれる。
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事柄、お客様には「ピアノも弾けるんでしょ?」と聞かれることがよくあるが僕はきっぱりこう答える…

「いいえ、僕はギターを弾きます。彼女とはもう40年も付き合ってますからね」

『バーデン・ジャズ組曲 第1曲シンプリシタス』
メロディーラインがとても美しく、僕が最も好んで弾く曲の一つ。
以前、英会話の外人講師にこの曲を弾いて聞かせたら「とても美しい!彼女に会いたくなった」と言ってくれた。僕のお手本、木村 大の演奏を聞いてみてください



週間前に訪問したお宅でこんな相談を受けた。
「娘が習っているピアノの先生から中古のピアノを譲り受けたが、この謝礼をどうしたら良いだろうか?高価なものだし…でも先生はお金なんかいらないと言ってるし。だからと言って何もしないわけにはいかないし…どうしたら良いですか?」

「お金はいらないというのだから無理に払う必要はないでしょ?どうしても感謝の気持を伝えたいなら別の方法を考えて見ませんか?」と言ってあれこれ話し合った。
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普通なら人に何かをしてもらった場合、感謝の気持を物やお金に代えてケジメをつけようとする。
でも「本当に有難い、助かりました!」と思った時、もっと別の方法があることを伝えたかった。

て2週間後の今日「そうそう、先日の謝礼の件。どうなりましたか?」と聞いてみた。

奥さんは「ピアノがどれほど高価なものなのか、買うとすればどれほど大変なのか」を6歳の娘にも分かるよう説明したそうだ。
そして「そんな高価なものを先生はね、あなたにくれたのよ。今度レッスンに行ったら先生にお礼を言わなくちゃね」と話したそうだ。

そしてレッスンの日…
教室の外で待っていたお母さんはピアノの音が鳴り止んだあと「先生が大切にしていたピアノをくださってありがとうございました。一生懸命練習して上手になるのでこれからもよろしくお願いします」という娘の声が聞こえてきたそうだ。

「わずか6歳の子が!
物の価値と人の心遣いを自分なりに理解して強制されるでもなく自分の言葉で感謝の気持を述べている。それを聞いてほんとうに嬉しかった…」と話してくれた。


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達の周りにはマニュアルに従った言葉があふれている。
スーパーやコンビニで聞く「ありがとうございました~」「いらっしゃいませ~」
この全てを否定するつもりはないが、本心から出る感謝の言葉は人と人の摩擦を軽くし、家庭を明るく、社会を円滑にし、世界に平和をもたらす。

この話を聞いて本当にそうだなぁ、そうなればいいなぁと心から思った。
8時頃だったかな、ある女性からこんな電話相談を頂いた。
(写真はイメージです)
$NCC-1960 Duke Kozai-電話相談


私:「ニコニコはいはい、香西です」
客:「ドクロもしもし、あのぅ…ピアノ調律師になるにはどうしたらいいですか?」

   少し年配の方だったので

私:「かおなりたいのは子供さんですか?」
客:「いえ、私です」

私:「ガーンあ…そう。で、お歳は?」
客:「55歳です」

私:「ショック!うっ…」
客:「弟子は取らないんですか」(このへんから“おこ”)

私:「ガーンえぇっ…」
客:「どうやったらなれるんですか?」

私:「シラーあのぅ…なぜなりたいの?」(ハァハァ…)
客:「私、耳がいいんです。」

私:「むっメラメラハァ、皆さんそうおっしゃいますね」(このへんは“激おこプンプン丸”)
客:「調律師って儲かるんでしょ?」

私:「しょぼんまぁ、儲かっている人もいるでしょうね」
客:「あなた、どのくらい儲かってるの?」(ここで“ムカ着火ファイヤープンプンドンッ

私:「プンプンメラメラそんな事、言う必要ないでしょ?」(ここで“カム着火インフェルノーォォォオウ”)
客:「月50万?もっと?」  (ンなわけねぇだろが…爆弾

私:「むっあのー目的はなんですか?」(“まじおこ”に戻る)
客:「お金がほしいんです、だからすぐなりたいんです……


このあと延々と会話が続き「…もう、いいですか?」で一方的に会話終了!!

いちおうお客さんだから丁重に断ったが、転送で携帯にかけてきやがった!
他愛もない無駄な時間と通話料ぜんぶこちら持ちしょぼん

激おこスティック ファイナリアリティ ぷんぷんドリィィィム!…ハァハァハァハァ

もうやめてくださいね、こんな電話。お願いします。。。叫び





  
、学校で習った教科書の中の話…

あるところに小さな島があってそこには小さな村があった。
その村の住人はみんな怠け者でグウタラ過ごしている。
だから魚を捕る網も漁船もボロボロ、畑は雑草が伸び放題。
食べるものも着るものも粗末なもので、でも誰も働こうとしない。
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そのだらしなさを見るに見かねた村の長老が村人たちを集めて話し始める。
「ここから遠く遥か彼方、海の向こうに幸せの島という楽園があるのじゃ…」

元来、働くことが大嫌いな村人たちは長老の話に身を乗り出して聞き入る。
「その島はどこにあるんだ?どうすればその島にいけるんだ?」

長老は「それははるか遠いところにあっての、何日も船を漕がねばならぬ」
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村人たちはその島へ行きたいがためにまず壊れた船を直し長旅に備えて魚を捕り畑を耕して作物を植え旅に充分なだけの食料を貯めこんだ。女達は機を織り着るものをたくさん作った。

何年もかかって旅に出かける準備が整ったところで村人たちは長老のもとに集まり「さあ、準備は整った!幸せの島まで案内してくれ」と詰め寄った。

ところが長老は寄る年波のため病床につき今まさに息を引き取ろうとしている。
息も絶え絶えの中、長老は「幸せの島?そんなものは最初から有りはせんよ。もしあるとすればホレ、この島がそうじゃないか…」

いたいこんな内容だったと思う。
この話は今でも僕の心の中で生き続けている。

夢と理想を追い求め努力することは尊い。が、しかしいつまでも思うようにならないと感じた時、人は挫折感にさいなまれ夢をあきらめて自暴自棄に陥ってしまうかもしれない。

「今までの努力は何だったのだろうか?」
「こんなに頑張ったのに、これほど待ちわびたのに、すべては虚しい」
「なぜ私だけ幸せになれないの?こんなに頑張っているのに」


近、追い求めた理想は以外にも近いところに 知らぬ間に花を咲かせているかのような出来事に遭遇する。
探し求めていた青い鳥がじつは身近なところにいた…いや、実は自分こそが青い鳥そのものだった!…ような感覚を覚えることがよくある。
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あまりにも遠くを、高すぎる理想にばかり目を向けていたがゆえ足元に咲いていた花に気づかず自責の念に浸っていた毎日だったのかもしれない。

そう、周りを気にしすぎるあまりいつの間にか本来持っている自分らしさ、自分の良さを見失っていたのかと思う。

もっと楽に、もっと力を抜いて。自由に奔放に自分を開放し自分を解き放って生きていいよ。

こんなアドバイスと愛あるメッセージとを親身になって伝えてくださったその方に・・・・

この場を借りて心からのお礼と感謝を伝えます・・・・


ーラジオのニュースで漫談師・牧伸二が亡くなったことを知った。
とても短い知らせだったが、私にはとても長く感じた。
さらに死因が自殺らしいことも驚きだった。
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昭和58年頃、23歳の私は総武線・新小岩駅の近くにあったレンタルビデオ店で深夜のアルバイトをしていた。
とてもいかがわしい店で7~8人が入るといっぱいになるような狭い店内に裏ビデオやビニ本なども並んでいた。

客層も酔っぱらい、ヤクザ者など風体の悪い怪しげな客の相手をしていた。

当時ではまだVHSとベータカセットが主流でダビングしたテープを1本1泊2日で800円ほどでレンタルするとんでもなくいい加減な店だった。

なかには珍しい客もいて講談師の田辺一鶴や落語家の月の家円鏡(橘家圓蔵)、その他テレビでは見たことがあるけど名前の分からない人たちも常連だった。

今日のニュースを聞きながら、その中に牧伸二がいたことを思い出し彼が亡くなったことを聞いて自分でも不思議なくらい悲しかった。
いつも2~3人の若い人を連れて好きな作品を借りてあげていた彼が有名人だとわかっていたがプライベートだったので私は一個人、一人のお客様だと割りきって対応していた。

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本では年間3万人ほどの自殺者があるという。
神道・仏教・儒教の国でなぜこれほどの人が自らの命を断つのか…

単に借金苦や病苦だけではあるまい。
それなりの覚悟があり、その覚悟を決めさせたのは一体何なのか?

以前、キリスト教クリスチャンに聞いたことがある。
「自殺はなぜいけないのですか?」
答えは明確だった。仏教、神道では曖昧な答えしか返って来なかったがクリスチャンの返事は
「神の、人に対する支配権所有権に背を向けることになるから・・・」

私はクリスチャンではないが彼らの自殺に対する考え方は正しいと思っている。
人(自分)の支配者は自分ではなく、人(自分)の所有者もまた人ではない、人を創った神に寄与するという命に対する考え方は一貫性があり理にかなっていると思う。

さんは私達に見せる芸能人のきらびやかな顔とは裏腹に実は孤独だったのだと思っている。
周りに沢山の人がいても実は孤独な人は大勢いる。私には牧さんの気持ちがよく分かる気がする。

雑談する仲間がいくら多くても心の中を吐露できる相手がいないと、人間は簡単に潰れてしまうのだ。その圧力に負けてしまうのはほんの一瞬、あっという間なのだということをどれほどの人が理解しているだろうか?

腹を割って話し合える人、共に泣き、共に笑い、語り合い、食事をしてくれる人、手をつなぎ、腕を組んで歩き、人肌のぬくもりを感じながら安堵の眠りにつくことの無い日々がどれほど永く、どれほど苦しく痛いのか…私はよく知っている。

「いつまでですか!」……思わず声に出しながら耐え、やがて気を取り直し繰り返される日々、他人は「魔が差したのだ」と言うが、当事者にとって魔が差す瞬間は待ち望んだ永遠の長さを持っている。

丸子橋から身を投げた時、永遠にも感じるそのひと時を牧さんはどう感じただろうか。
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付が変わり昨日と同じ今日が始まった。牧さんは逝ってしまわれたが、私にはまた昨日と同じ今日があり、今日と同じ永い永い明日が続く。いつまで闘うのか?いつまで耐えられるのか?それは…いつまで続くのですか?

 ……いつまで?
まり弾かない、使っていないピアノは時としてとんでもない被害にあっていることがある。
ピアノも人間と同じで定期的なメンテナンスを怠るとある日突然、医者に手遅れの宣告をされるのだ。

今朝早く、ひいきにしてくれている運送屋さんから電話をいただいた。

昨日、移動作業したピアノの様子があまりにも異常で、いったん倉庫に預かるから見て欲しいという。
さっそく午後から見に出掛けたら案の定、ネズミがピアノをかじって鍵盤の下に鳥の巣のような物ができ、酷いありさまになっていた。

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ネズミの死骸は風化していたがネズミが残した害虫被害がひどく、ヒメマルカツオブシムシ及びコイガ、ゴキブリなどがフェルト製の部品は殆んど食い尽くしていた。

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調律も40年行われておらず運送スタッフはお客さんに買い替えを勧めたが想い入れのあるピアノなので「金に糸目はつけない、修理して欲しい…」とのことだ。

それならなぜ、最初から大切にしなかったのか?
好き勝手し放題の人が生きるか死ぬかの瀬戸際になって「命が惜しい、死にたくない、金なら幾らでも積むから助けて欲しい…」と言っているように聞こえる。釈然としない仕事だがピアノに罪はなくピアノは被害者である。
所有者の心に問題があるのだ。

過去は変えることができない、だから今はピアノの未来を考えてあげねばならない。

ということでこの仕事、引き受けることにした。

さぁ、やると決めたからには責任を持って、最後までやり遂げよう!
アノの内部にはブックレットと言って本体の保証書とピアノ調律師が「いつ、誰が、何をしたか」
記入する記録簿があります。

今日訪問した丸亀市のK様はこの記録簿が裏も表もいっぱいになってしまいました。

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ピアノを購入されたのが昭和45年頃。それから20数年後の平成6年に二回目の調律を私が担当させていただき、それ以来19年間欠かさずご依頼を頂戴して来ました。

このお客様は調律の時期が来ると決まってお電話をいただき積極的にメンテナンスを委ねてくださるいわば私のFanの一人です。19年の間、幼かった娘は嫁に行き、息子さんは県外で所帯を持たれ、飼っていた犬も2世代目となり、奥様も私もお互い歳を重ねたことを語り合い懐かしがる間柄となりました。

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後の欄に名前印を押しながら「この年、僕は何をしていたんだろう・・・」などと5年前の事、10年前の事などを思い出したりして感慨深いものがありました。

決して良い事ばかりがあった人生ではありませんが1枚の紙切れに自分の人生の縮図を見たように思える意味深いひと仕事でした。 ペタしてね