東北の御朱印巡り、青森に続いて八戸に向かいます。青森駅からは新青森に向かい、新幹線に乗り換えます。
「はやて」今もあるんですね。「はやぶさ」で青森から八戸に向かいます。ちなみに「320km運転」ができるのは盛岡から宇都宮までで、全区間ではないそうです。
八戸の中心市街地はJR八戸駅前にはなく、八戸線の本八戸駅の南側にあります。八戸駅は1971年までは「尻内」という駅名で、バスで15分以上かかるほど離れています。東北本線では特急網の整備により地元の人でないと分かりにくい駅名がいくつか改名されており、「福岡→北福岡→二戸」「黒沢尻→北上」などの例があります。
八戸線は本数が少ないため中心市街地まではバスが頻発しています。中心市街地は海方向への一方通行である「表通り」と逆の「裏通り」があり、表通りの十三日町と裏通りの六日町が隣り合う(足すと下一桁が9になる)特徴があります。
元々この中心市街地は八戸城の城下町でしたが、なぜか大手門から言うと角度がズレています。
この中心市街地の入口に神明宮があります。
創建は不明ですが、安土桃山時代の九戸の乱の頃には三陸沿岸の金浜にあったとされています。その後1709年に現在地に移転、現在の本殿は1866年に再建されたとされています。
神明宮は八戸を代表するお祭りの「八戸三社大祭」の主役となる神社です。
こんな感じの山車が出るそうです。
神明宮の御朱印です。
神明宮から少し南に歩くと光龍寺があります。
八戸藩主の南部直政により1692年に創建された曹洞宗のお寺です。
こちらの山門はかつての八戸市役所の門を移築したそうです。
本堂にお参りして御朱印を頂きました。庫裏の玄関が網戸になっていますがよく見たらカブトムシがくっついていました。野生のカブトムシ、久しぶりに見ました。
光龍寺の御朱印です。
その後あちこち回るもなかなか苦戦しました。途中本覚寺というお寺の前を通ったら「人見絹枝 骨塔」とあります。「え、なんで?」となりお寺の入口近くにあるお墓にお参りしました。
人見絹枝さんは現在の岡山市南区の出身で1928年のアムステルダム五輪で女子陸上800mに出場し日本女子史上初の銀メダルを獲得した方です。当時の女性にはあまりにも過酷なレースで、決勝では人見さんを始め全選手が次々と倒れてしまい、1960年に再開されるまで行われなかったといいます。
その後体調を崩し1931年に24歳で亡くなりますが、ずっと付きっきりだった藤村てふさんのお墓に分骨され遠い八戸に眠っているそうです(もちろん岡山にある人見家のお墓でも眠っているそうです)。なお日本の女子陸上競技ではその後64年間メダリストが現れず、1992年のバルセロナ五輪の女子マラソンで有森裕子さんが銀メダルを獲得したのが2例目でした。有森さんも岡山市出身で、マラソンの行われた8月2日は人見さんの命日であったそうです。
#ちなみに人見さんは学校の大先輩、有森さんは高校の帰り道で旭川の堤防道路を走っているときに何度かすれちがっています。
本覚寺は浄土真宗のお寺ですから御朱印は頂けませんが、驚きでした。
ようやく頂けたのが八戸城近くのおがみ神社です。
平安時代には既にあったとされる八戸の総鎮守です。八戸藩の時代は二の丸近くにあたる場所で保護されてきました。
おがみ神社の御朱印です。
中心市街地からバスに乗って八食センターに向かいましょう。
「200円以下バス」に乗ればセンター内のバス停に着きます。
1980年に郊外型食品市場としてオープン、海産物だけでなく農産物やお菓子なども扱うため一般のお客さんの来場も増えるようになり改装を重ね今では観光名所ともなっています。あらゆる食材が集まり、それを食べさせてくれる食のテーマパークになっています。人気が出るようになると郊外型の他店も集まってきて夏にはフリーライブを行うなど八戸の活性化に取り組んでいます。
ということでまずは腹ごしらえ。正午前後を外さないとどこも行列になるほどの活気があります。
お昼は郷土料理のバラ焼きとせんべい汁の定食です。美味しかったですよ。
お土産を買って八戸駅に向かいましょう。いろんな物が売られていて面白かったです。八戸駅までは100円のバスがあります。
続きます。