ちょこちょこ続けている鎌倉の御朱印巡り、今回は腰越を中心に回ってみたいと思います。

腰越は鎌倉の西端にあたります。腰越漁港があり、近辺では腰越の新鮮な魚は人気があります。


腰越へは江ノ電が便利です。まずは鎌倉観光の出発点である大船からスタートしましょう。

大船は東海道線・横須賀線とも停車しますから新橋から東海道線に乗れば約45分で着きます。大船をスタートにすることでJR鎌倉駅だけでなく藤沢駅からも江ノ電に乗れますし、中間の江ノ島駅までは湘南モノレールに乗ればショートカットすることもできます。

JR鎌倉駅をスタートにしてしまうよりも選択肢が多いですし、改札内外のコインロッカーの数は鎌倉駅より圧倒的に多く、トイレも数が多いです(特に鎌倉駅の女性用トイレは休日は長蛇の列です)。加えて主要な鎌倉土産は改札目の前のルミネウイングでも買えますから大船駅スタートにすることをオススメしたいです。


今回は湘南モノレールに乗りましょう。一日乗車券を売っています。往復運賃より少しだけ安いので便利です。

三菱重工が懸垂式モノレールの実用化路線として湘南モノレールを設立し、1970年に大船-湘南江の島間を完成させています。懸垂式は屋根の上から車輌を支える形で、日本では湘南モノレールと千葉都市モノレールのみが採用している少数派です。日立が実用化させ大阪モノレールやゆいレールなどの車輌を床下で支える跨座式モノレールが日本での主流ですが、懸垂式は跨座式よりも急勾配に強い特徴があります。

13分ほどで湘南江の島駅に到着。

ホームが高いところにあるので展望台も設置されており、このように富士山を眺めることもできます。


江ノ電の江ノ島駅はすぐ近くです。隣の腰越駅まで乗りましょう。

この間は江ノ電のハイライトとも言える区間で、道路の真ん中に引かれた線路をソロソロと走ってゆきます。道幅が狭く、電車が来ると車がギリギリまで道の端に寄ってきますから徒歩では危険で電車での移動がベターです。ちょうど江ノ電が道路に入るところに龍口寺というお寺があります。今回の腰越での御朱印巡りでキーになりますから覚えておいてください。

少し走ったところが藤沢市と鎌倉市の市境で、鎌倉市側が腰越になります。標識が出ていないのですが街灯に「片瀬竜の口商店街」と書かれた看板が出ているところが藤沢で「腰越」と書かれた看板が出ているところが鎌倉になります。

この道路上を走る区間が終わると腰越駅です。


腰越駅を出て少し歩くと小動神社への参道が見えてきます。

小動神社は腰越の鎮守で、源平合戦の際に頼朝に仕えた佐々木盛綱が出自である近江から八王子社を勧請して創建されたとされています。近江源氏の流れである佐々木氏はのちに六角氏・京極氏などに分かれ、京極氏のように江戸時代になっても大名としての残った家系もありました。鎌倉幕府の最後である新田義貞の鎌倉攻めの際に戦勝祈願を行っており、その後お礼として社殿を整備しています。明治維新後に小動神社に改名しています。

本殿の横からは腰越漁港がよく見えます。

本殿付近はは来月の天王祭に向けて整備中でした。

小動神社の御朱印です。


戻って小さな道に入りましょう。

江ノ電の踏切の先が満福寺です。

744年に行基が開いたとされる真言宗大覚寺派の寺院です。平家を滅ぼした源義経は兄の頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されずこの満福寺に逗留し書いたのが「腰越状」だとされています。結局頼朝は弟を許さず義経は京へと戻りますが、なおも許されず奥州に落ち延びることになります。

この欄間には弁慶が「腰越状」をしたためている様子が彫られています。義経一行が満福寺に逗留したことは史実のようですが、「腰越状」については現代では書いたのが弁慶というのも含め本当に書かれたものか疑問が持たれているようです。

満福寺の御朱印です。

続きます。