ちょこちょこ続けている御朱印巡り、今回は飛騨高山です。

高山市は岐阜県北部にある飛騨地方の中心で人口8.4万人。平成の大合併で周辺の町村と合併し日本一広い市となりました。その一方面積の9割以上が山林で、人の住める土地は僅かです。
中心となるのはJR高山駅から東に広がる古い町並みで、「飛騨の小京都」として知られています。戦国時代に高山に入った金森長近により町造りが行われ、以来飛騨地方の政治経済の中心となっています。
長近は織田信秀に出仕、以後信長に仕えて数々の武功を上げ越前大野を与えられています。秀吉の時代に飛騨の大名である姉小路氏の攻略を命じられて平定に成功したことから1586年に飛騨一国の大名となり、大野で培った町造りを高山でも行い、大野と高山はともに小京都として栄えることになります。
こうして金森氏は一国の大名となりますが、飛騨にはカミオカンデで知られる神岡鉱山など鉱物資源が多く眠っていることから1692年に出羽上山(山形県上山市)に国替えを命じられ、以後天領となっています。このため高山藩時代の高山城趾と天領時代の高山陣屋の両方があります。ちなみに金森氏は1697年に美濃郡上(岐阜県郡上市)に再度国替えとなりますが重税にあえぐ郡上の百姓らが起こした一揆の責任を問われ1759年に改易されています。
高山へはJR高山線の特急「ひだ」か名古屋や岐阜からの高速バスが一般的です。「ひだ」は大阪発が1本だけあるものの高山着が12時14分で午前中に到着できません。名古屋で乗り換える方が早く高山に着きます。「ひだ」「高速バス」とも約2時間半で、運賃は圧倒的にバスの方が安いため名古屋まで新幹線、名古屋からバスにしました。WiFiも電源もありトイレ付きなので飲んでも安心ですが、高山や白川郷は近年外国人観光客に人気があるため午前の名古屋発、午後の高山発は軒並み満席ですから早いタイミングでの事前予約が必須です。

前置きが長くなりましたが新幹線名古屋駅からスタートです。

新幹線の改札を出て太閤通口(地下街エスカ方向)に進むと右手に高速バス乗り場があります。年末の名古屋御朱印巡りの際にここで乗車券を予約していました。

バスセンターに模型があってこんな感じになっています。

8時発のバスに乗りましょう。JR東海バス・名鉄バス・濃飛バスの3社共同運行でこの便はJR東海バスの担当です。この便も満席、外国人が「予約がないけれど乗れないのか」と運転手に聞いていましたが断っていました。

バスは長良川SAでの休憩を挟んで関から一気に山間部に入ります。バスの走る東海北陸道は高速道路の日本最高点である標高1,085mの松の木峠を通過します。付近は深い雪で白一色となり、台湾などの観光客が車内から写真を撮っていました。

ほぼ時刻通りの10時52分に濃飛バスセンターに到着。ここから白川郷や新穂高ロープウェイに行くことができますが、どちらも外国人観光客が押し寄せて定期路線バスながら3~4台バスを連ねている状態です。
こんな状態ですので早めのお昼にしましょう。バスセンターから宿への道すがらにある「ちとせ」です。

ここも昼時は行列ですが、11時オープンなのでスムースに入れます。

名物は「肉玉焼きそば」です。ソースはクラシックな味わいなのですがこれがまたいいですね。並でもお腹いっぱいです。
満足したら飛騨国分寺へ。アーケードがあるものの交差点には数日前の大雪が残っており、溶けかけた雪が凍って歩くのに苦労します。

飛騨国分寺は746年に聖武天皇の命を受けた行基が創建したとされる高野山真言宗の寺院です。境内の大イチョウは創建の頃の木だそうです。

長い歴史の中で何度も焼失と再建を繰り返し、現在の本堂は室町中期のもので、国の重要文化財に指定されています。

こちらの三重塔は飛騨地方唯一のもので、1821年に完成しています。

飛騨国分寺の御朱印です。
ようやく宿に荷物を預けることができて身軽になりました。

北から時計回りで進みましょう。飛騨総社にお参りです。

10世紀の創建で飛騨の18社を祀る総社です。室町時代に衰退するものの寛永年間に社殿が整備され再興されましたが19世紀はじめに再び衰退、国学者田中大秀により再興されています。以後明治年間に再度社殿の道営が行われて現在に至っています。

ちょうどどんど焼きをやっていました。

飛騨総社の御朱印です。神職さんはかつて兵庫の西宮神社に奉職されていたことがあるそうです。
続きます。

高山市は岐阜県北部にある飛騨地方の中心で人口8.4万人。平成の大合併で周辺の町村と合併し日本一広い市となりました。その一方面積の9割以上が山林で、人の住める土地は僅かです。
中心となるのはJR高山駅から東に広がる古い町並みで、「飛騨の小京都」として知られています。戦国時代に高山に入った金森長近により町造りが行われ、以来飛騨地方の政治経済の中心となっています。
長近は織田信秀に出仕、以後信長に仕えて数々の武功を上げ越前大野を与えられています。秀吉の時代に飛騨の大名である姉小路氏の攻略を命じられて平定に成功したことから1586年に飛騨一国の大名となり、大野で培った町造りを高山でも行い、大野と高山はともに小京都として栄えることになります。
こうして金森氏は一国の大名となりますが、飛騨にはカミオカンデで知られる神岡鉱山など鉱物資源が多く眠っていることから1692年に出羽上山(山形県上山市)に国替えを命じられ、以後天領となっています。このため高山藩時代の高山城趾と天領時代の高山陣屋の両方があります。ちなみに金森氏は1697年に美濃郡上(岐阜県郡上市)に再度国替えとなりますが重税にあえぐ郡上の百姓らが起こした一揆の責任を問われ1759年に改易されています。
高山へはJR高山線の特急「ひだ」か名古屋や岐阜からの高速バスが一般的です。「ひだ」は大阪発が1本だけあるものの高山着が12時14分で午前中に到着できません。名古屋で乗り換える方が早く高山に着きます。「ひだ」「高速バス」とも約2時間半で、運賃は圧倒的にバスの方が安いため名古屋まで新幹線、名古屋からバスにしました。WiFiも電源もありトイレ付きなので飲んでも安心ですが、高山や白川郷は近年外国人観光客に人気があるため午前の名古屋発、午後の高山発は軒並み満席ですから早いタイミングでの事前予約が必須です。

前置きが長くなりましたが新幹線名古屋駅からスタートです。

新幹線の改札を出て太閤通口(地下街エスカ方向)に進むと右手に高速バス乗り場があります。年末の名古屋御朱印巡りの際にここで乗車券を予約していました。

バスセンターに模型があってこんな感じになっています。

8時発のバスに乗りましょう。JR東海バス・名鉄バス・濃飛バスの3社共同運行でこの便はJR東海バスの担当です。この便も満席、外国人が「予約がないけれど乗れないのか」と運転手に聞いていましたが断っていました。

バスは長良川SAでの休憩を挟んで関から一気に山間部に入ります。バスの走る東海北陸道は高速道路の日本最高点である標高1,085mの松の木峠を通過します。付近は深い雪で白一色となり、台湾などの観光客が車内から写真を撮っていました。

ほぼ時刻通りの10時52分に濃飛バスセンターに到着。ここから白川郷や新穂高ロープウェイに行くことができますが、どちらも外国人観光客が押し寄せて定期路線バスながら3~4台バスを連ねている状態です。
こんな状態ですので早めのお昼にしましょう。バスセンターから宿への道すがらにある「ちとせ」です。

ここも昼時は行列ですが、11時オープンなのでスムースに入れます。

名物は「肉玉焼きそば」です。ソースはクラシックな味わいなのですがこれがまたいいですね。並でもお腹いっぱいです。
満足したら飛騨国分寺へ。アーケードがあるものの交差点には数日前の大雪が残っており、溶けかけた雪が凍って歩くのに苦労します。

飛騨国分寺は746年に聖武天皇の命を受けた行基が創建したとされる高野山真言宗の寺院です。境内の大イチョウは創建の頃の木だそうです。

長い歴史の中で何度も焼失と再建を繰り返し、現在の本堂は室町中期のもので、国の重要文化財に指定されています。

こちらの三重塔は飛騨地方唯一のもので、1821年に完成しています。

飛騨国分寺の御朱印です。
ようやく宿に荷物を預けることができて身軽になりました。

北から時計回りで進みましょう。飛騨総社にお参りです。

10世紀の創建で飛騨の18社を祀る総社です。室町時代に衰退するものの寛永年間に社殿が整備され再興されましたが19世紀はじめに再び衰退、国学者田中大秀により再興されています。以後明治年間に再度社殿の道営が行われて現在に至っています。

ちょうどどんど焼きをやっていました。

飛騨総社の御朱印です。神職さんはかつて兵庫の西宮神社に奉職されていたことがあるそうです。
続きます。