先日、予告 しました
わたすが以前、読んでいた
遠い昔の漫画・・
いや、、作品とでも申しましょうか?
いや、、作品とでも申しましょうか?
ようやく、誇りまみれな箱から、
パンパンと
取り出せました
そ・れ・はー
絶対安全剃刀(ぜったいあんぜんかみそり)
作/高野文子
思えば、強烈なタイトルだねぇ。
いつ、買ったかも、忘れている・・
なんだか、当時は、
大きな絵本みたいな印象だったのだな
大きな絵本みたいな印象だったのだな
ワスが唯一、この本を手放せなかったのは、
数年後も懐かしい昭和を思い出したかったからか?
優しくて、どこか、ほっとする切なさに似た?
そんな描写に惹かれた作品だった事は間違いにゃい。
目次は以下のとおりとなっているん
- たあたあたあと遠くで銃の鳴く声がする
- 花
- はい―背筋を伸してワタシノバンデス
- 絶対安全剃刀
- 1+1+1=0
- おすわりあそべ
- ふとん
- 方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行
- 田辺のつる
- アネサとオジ
- あぜみちロードにセクシーねえちゃん
- うらがえしの黒い猫
- 午前10:00の家鴨
- 早道節用守(はやみちせつようのまもり)
- いこいの宿
- うしろあたま
- 玄関
この中の最後のお話
"玄関"
が
好きだった。
が
好きだった。
ザブーンと高波の海のシーンが最初に
飛び込んでくる
このシーンで、私が小さい頃、母親の田舎
新潟の瀬波を思いだすのだ。
新潟の瀬波を思いだすのだ。
それも、まだ、泳げない幼稚園の頃。
田舎に遊びに行けるという唯一の夏休み
この中の主人公
えみこちゃんが体験する
波の怖さはまったく、
同じ状況で、
波の怖さはまったく、
同じ状況で、
ワスの思い出とリンクしてしまうのだ。
浮き輪つけて、
高波に一瞬さらわれて、
高波に一瞬さらわれて、
ぶくぶく沈む波の泡目から
砂浜に居る日傘を差した母と父が見えるのだ。
砂浜に居る日傘を差した母と父が見えるのだ。
あまりにも、まったく同じ体験をしてる
この絵のページとえみこちゃんが思う
心の心情は、とても、甘酸っぱくて
この絵のページとえみこちゃんが思う
心の心情は、とても、甘酸っぱくて
悲しくて、怖くて、ほろ苦い思い出。
粉末状のメロンソーダに
炭酸がパチパチはねたソーダー水の思い出とか。
「緑色ぉー気持ち悪~~い」
ゲヘヘ)))
なんて、会話に幼いながら
ワスも姉も
たわない出来事に
ワスも姉も
たわない出来事に
幸せ~っと思えた時代だ。
たわいない時間が愛おしくなるって
こんないっときだったように、思える。
たわいない時間が愛おしくなるって
こんないっときだったように、思える。
そして、母親の動く
しぐさは、いつも、
安堵感に満ちていて
しぐさは、いつも、
安堵感に満ちていて
家のために、
ちょこまか、ちょこまか、
せせこましく・・・動いていても
せせこましく・・・動いていても
傍にいることだけで
なんだか、良かった。
その一瞬の姿に
目を奪われるように
幼いながら
目を奪われるように
幼いながら
母への憧れがあったように思う
お母さんの声は
いつも、優しかったです
っていうのは、
わたしには当てはまらなかったけど
っていうのは、
わたしには当てはまらなかったけど
それでも、小学校で三者面談の帰りは、
母親の着ている服の匂いや、
母親の着ている服の匂いや、
日傘の影すらも、
すべて、鮮明で
懐かしくもあり
そして、
その歩く道のりは
とても、ながく
先生の言っていた言葉なんかが
気になっていたりして・・
お母さんは今、
何を感じて何を思っているのだろう~と
下を向いて歩いていたように思う。
だから、この最後の章は、
どこか、自分の幼い頃が
妙に沁みて、
鮮明に今も思い出せるんだと思う。
妙に沁みて、
鮮明に今も思い出せるんだと思う。
高野文子さんの描かれる作品は
どこか、日常生活の一部をキリとった
ほんのわずかな、悲しみや笑いや、
怒りや喜び、
怒りや喜び、
その一瞬をふと、思いださせてくれる・・
でも、その一瞬から、
読者にこのあと、あなたはどう感じますか?
と、投げかけて結論をあまり、明確にしない
そこが、この作品の魅力的なところのように
思える・・
思える・・
早速、Mちん・・
興味津々に
ぺらぺら~と読み始めておりました
ぺらぺら~と読み始めておりました
2冊目・・
つづく