DRIDE-GPの頃
ちょいと間が空きましてすんません。
3年前くらいからDRIDE-GPが始まったんですけど、この年D1地方選やらMSCが2戦あったりマッスルがあったりと中々シリーズでは厳しい一年でした。
変わったのはまず、審査員。神本、藤尾コンビから北芝に移行していったのです。
大会の方向もエキスパートからミドルへ移行しつつあったのですが中々難しく選手も沢山ある大会の中どれを選ぶか大変だったと思います。
そして今年西村と色々考えた結果シリーズ化をやめ「備北いち決定戦」を一回やってみようじゃないかということになりました。
今年は西日本の統一戦も備北で開催されることもあり一発勝負で出場権利をかけてD1選手から地元マイスター、チャレンジクラスまで皆で出れる大会を作ろうと考えてます。
それが今月25日に行われます。
いわばトイズ杯からの約18年目の集大成と行っても過言じゃありません。長い長い前フリとなりましたが、そろそろ本当の備北いちを決めてみようじゃありませんか!!
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3年前くらいからDRIDE-GPが始まったんですけど、この年D1地方選やらMSCが2戦あったりマッスルがあったりと中々シリーズでは厳しい一年でした。
変わったのはまず、審査員。神本、藤尾コンビから北芝に移行していったのです。
大会の方向もエキスパートからミドルへ移行しつつあったのですが中々難しく選手も沢山ある大会の中どれを選ぶか大変だったと思います。
そして今年西村と色々考えた結果シリーズ化をやめ「備北いち決定戦」を一回やってみようじゃないかということになりました。
今年は西日本の統一戦も備北で開催されることもあり一発勝負で出場権利をかけてD1選手から地元マイスター、チャレンジクラスまで皆で出れる大会を作ろうと考えてます。
それが今月25日に行われます。
いわばトイズ杯からの約18年目の集大成と行っても過言じゃありません。長い長い前フリとなりましたが、そろそろ本当の備北いちを決めてみようじゃありませんか!!
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J-Cupの頃
やっとJ-Cupか…
この頃は選手になったり審査員やったりスタッフやったりと色々やらせてもらいました。
審査員は神本、春口、藤尾、吉岡、色々な方をお招きしました。
しかし、この面子…うちの審査員をすると大成すると言う都市伝説は…ないか?
大会内容はシリーズ戦として一年かけてポイント制にして年間チャンピオンを争ってもらいました。
今の備北のスター達はこの辺から出場してきたんじゃないんですかね。
んで、DRIDEオープンで西村との共同経営、角井の復活、堂薗と四人体制で行うことになったのだが一番楽しかった思い出が、DVDの製作ってね。
後半になって来ると審査席が1コーナーになったり弁当にお茶が付かなくなったり…
さてさて、次回は最終回、DRIDE-GPでございますよ!
つづく
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この頃は選手になったり審査員やったりスタッフやったりと色々やらせてもらいました。
審査員は神本、春口、藤尾、吉岡、色々な方をお招きしました。
しかし、この面子…うちの審査員をすると大成すると言う都市伝説は…ないか?
大会内容はシリーズ戦として一年かけてポイント制にして年間チャンピオンを争ってもらいました。
今の備北のスター達はこの辺から出場してきたんじゃないんですかね。
んで、DRIDEオープンで西村との共同経営、角井の復活、堂薗と四人体制で行うことになったのだが一番楽しかった思い出が、DVDの製作ってね。
後半になって来ると審査席が1コーナーになったり弁当にお茶が付かなくなったり…
さてさて、次回は最終回、DRIDE-GPでございますよ!
つづく
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ビーク ル杯の頃
トイズの人間は皆バラバラになったので大会は僕が引き継ぐ形となった。
タイミング良くトイズ時代から仲良くしてもらってた中古車屋さんビークルで働くことになりその合間に業務として大会をやらせてもらえるようになった。
この辺からドリコンGPの予選会やらBM杯やら始まり備北は益々盛り上がってきた。
大会はビギナークラスやらを作ったり予選ルーレットは廃止等テコ入れをしていった。
審査員も谷口が忙しくなり後半では神本、湯浅を審査員として投入することになった。
この頃僕は進行と審査の計算をしていたのだがこれも後半になって来て電卓からパソコンへと大会は大きく進化していった。管理人(堂薗浩二)の誕生である。
この頃が一番備北が盛り上がってたんじゃないかな?
選手もだけどチームの時代だったかも…アウトフェイス、アプローチ、ナイトゾーン、NA WORKS、club Mansまさに時代は群雄割拠だった。
あと思い出としてはBM杯の電話受け付け!
開始時間から二時間電話鳴りっぱなしでキャンセル待ちも20人くらいいて電話だけでひと大会終えたくらい体力を使った記憶がありますわ。
しかし4,5年働いてたビークルを退社することになりいよいよ、J-Cupが始まることになる。
つづく
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タイミング良くトイズ時代から仲良くしてもらってた中古車屋さんビークルで働くことになりその合間に業務として大会をやらせてもらえるようになった。
この辺からドリコンGPの予選会やらBM杯やら始まり備北は益々盛り上がってきた。
大会はビギナークラスやらを作ったり予選ルーレットは廃止等テコ入れをしていった。
審査員も谷口が忙しくなり後半では神本、湯浅を審査員として投入することになった。
この頃僕は進行と審査の計算をしていたのだがこれも後半になって来て電卓からパソコンへと大会は大きく進化していった。管理人(堂薗浩二)の誕生である。
この頃が一番備北が盛り上がってたんじゃないかな?
選手もだけどチームの時代だったかも…アウトフェイス、アプローチ、ナイトゾーン、NA WORKS、club Mansまさに時代は群雄割拠だった。
あと思い出としてはBM杯の電話受け付け!
開始時間から二時間電話鳴りっぱなしでキャンセル待ちも20人くらいいて電話だけでひと大会終えたくらい体力を使った記憶がありますわ。
しかし4,5年働いてたビークルを退社することになりいよいよ、J-Cupが始まることになる。
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