そもそも、まつは「長老をやめると、無活動になる。だから多分JWやめるだろうな」とごくごく親しい友には語っていた。
部門監督を辞め、長老をやめると誰かのために働く機会はほとんど無くなる。
そうすると、JWの活動においてやおら目的を失い何もしなくなるはずだと、ずっと考えていた。
JWの第一の務めである野外奉仕は、小さい頃から痛くなるところが出るほど嫌いだったし。
ただ、人のために働くことは好きだったから、建設も長老も割り当ても頑張れた。
役に立っているという実感が得られたから。
でも好きだったその中で、理不尽なことはとても憶えてられないほど多かった。
集会帰り、長老の集まり帰り、牧羊帰り。建設の監督の集まり帰り。
「もうやめる!!やってらんねーっ!」とネクタイ振りほどいてスーツを床にたたきつけた…。こんなことが何度くりかえされただろう…。
子供が小学校に入学するときはそのときだとずっと思ってきた。
自分が経験してきたあのつらさを絶対に経験させたくは無かった。
そりゃそのときは無難に親たちや期待を寄せる人々の望むことを自分のものにして、先生や友達に説明したものである。
でもみんなと同じことをしたいという欲求は子供と大人ではスケールも、ストレスも違う。
小さなことかもしれないが、それが重なって、気づかぬうちに、自分で心を押しつぶしていたのだと思う。
まつなどましなほうだ。心を病んで病院にかかるほどではない。一生を病のために棒に振る人は多い。ほんとに多い。
病んだ人間をもう二人社会に送り出すことなどとてもできない。
おととしくらいのことだったと思うが、巡回訪問のとき。
「長老の子息が大学進学を選択する場合、長老としてとどまることはできない」
明確な指示として与えられたこの決め事に、まつは到底納得できなかった。
いくら高等教育を否定したとしてもここまで規制するとは…。
巡回さんを前に、この文を書きとめながら、思った。
「来るとこまで来たな」
自分の子供にも当てはめなければならないだろう、この取り決めにまつは従うことはできないし、ましては自分ができないことを、成員に適用することなどできるはずがない。
カウントダウンのボタンが押された瞬間だった。
先日一年に一度の記念の日。
日曜日の夕方。まつも家族で出かけた。
もう3ヶ月も集会に行っていない。地震後の救援ではみんなと働いたが、そのときぶり。
当然、気遣いからみんなが声をかけてくれるのだが、心配させないよう気丈に振舞う自分がいる。
「忙しいですが、大丈夫ですよ。ご心配には及びません。ありがとうございます」というオーラを全身から出している。
同じくチョームス二世子持ちのMTS出の長老に声をかけた。ちょっと話したいことがあると。
数日前に日曜日の集会の予定表がメールで送られて来て、まつの名前も朗読に当てられていた。
しばらく集会に来れない事、すべての割り当てから除いてくれるよう他の長老達にも伝えていただけるようお願いした。
その後、先日の巡回訪問で、忙しい生活を送るまつ家族が、地元の会衆に交わるのがよいのではないかと巡回さんが言い残して行ったと聞かされた。長老達は残って欲しいと思っている。
ついに来たかと思った。
まつの家族は、双方の両親達と会衆を異ならせるために越境していた。
両親達が一緒では子供の教育上良くないと考えた。一人っ子の親たちの孫への執着は酷かったから。
それに一族で一つの会衆に交わるのは、会衆に対する影響も大きくなる事も考えていた。
そして何よりも、まつたちの選んだ会衆が一番子供が多く、長老達が子育てを終えた親達であったり、会衆外の奉仕において経験豊かな方たちだったこともある。人として愛にあふれていた。
だから会衆が一致していて心を病んだ方がいなかった。
そうして選んだのだが、地元に交わるように言われるときもJW人生の終わりだとも考えていた。
子供達に地元の野外奉仕はさせたくなかったのだ。それもまつたちの幼少期の経験による。
会衆移動の件は考えさせていただけるように伝えて、式は始まった。
話はいつものとおり。毎年変わるのは表彰物にあづかる人の数。いつものごとく毎年増えている。
今年もまた心の中でやりきれない気持ちになり、隣りの妻と目を合わせた。
帰り道、ものすごく消耗したことを感じた。
コンビニに寄り子供たちのお菓子を買って、つまみを買った。帰ってからねぎらいの酒を楽しむために。
毎回そうだったが、集会の日は酒がすすむ。まるでアルコールで心をすすぐかのように。
その日はなんだかものすごく疲れた。式まではゆっくり休めたというのに。
家に戻って用意を解いて飲み始めても、なんだかちょっとしたことにイラついた。
なんてことも無いいつものことで子供たちにつらく当たってしまう。
そういう自分に情けなくなる。ものすごく疲れた…。
翌日、いつものように現場へでかける車中。
ラジオからはハウンドドックのフォルテシモがかかり始めた。
和田アキ子がカバーしたものだったが、その番組では珍しくフルコーラスかけていた。
大友さんにはかなわないが、パンチの効いたボーカル。
曲がかかり始めて、エンドレスで聞いていたころの自分がよみがえってきた。高校のころ。
そしてなぜか涙がとまらなくなっていた。
懐かしいというだけでなくこれまでのいろんな思いがこみ上げてきた。
無駄に過ごしてしまったと思える自分の半生を悔いたのか、友や仲間と思ってきた人々から裏切られた、また、裏切ることになることを悔いたのか、これから深く付き合うことになろう“元”といわれる人々がほんとに良い関係を築いて深くあたたかく気遣いあっていることに慰められたからなのか…
気持ちがどうにも抑えられなくなって、声を上げて泣いたから、顔は歪み、涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃになった。
専用道路だったからよかったものの、そんな状態でいかにも職人のおっさんがハイエースですっ飛ばしてたら対向車はかなりびびったはずだ。
こんなに泣いたのは人生初。
声を上げてわんわん泣く子供を見て、こんなに泣けたらラクだろうなと想ったことがあったが、まさかこんなに自分が負けじと泣きまくるとは…。
こんなに大きなストレスだったのかと改めて驚いた。
自分と家族を守るために決断すべきときがきたと真剣に考えた。
そして現場に着いて夕べ話したMTクンに電話した。
用は、ご他聞に漏れず自分も二世にありがちな心の病みを抱えていること。
まだ病気にはならないものの家族を養い、経済的にも老夫婦の面倒を見て、健全な子供を育てるために自分は発症するわけにはいかない。
組織の拡大に純粋にも人生のすべてをつぎ込んで、その終わりに生活苦にあえぐ老夫婦を世話する一人っ子に免じてほおっておいて欲しいと。
彼はよくわかってくれた。そしてしばらく休むことに賛成だと言ってくれた。
そしてまつが提案したとおり、戻るときには是非我が会衆で、とも。
まつのカウントダウンは終了した。
軟着陸に成功した気分だった。
その夜イチゴパフェをほおばりながら、いつもの相棒は「少し休めよ…」と。
いつものように付き合ってくれた。
ありがたい…。
そして今。ふとした拍子に、開放された本当に楽な気持ちの自分がいることに気づく。
忙しいことに変わりは無いが二足のわらじではない。
小さいときから感じ続けてきた、なにができない、かにができないという引け目からも。
「なすべき業を常にいっぱいに持ちなさい」という言葉に追い立てられ、できないことで自分を責めることからも。
「世のものではない」という言葉によりあらゆる人の間に高い壁を設けることからも。
JWを含めてすべての人との付き合いにおいて、ほんとにラクになった。
正直に自分を出せる。変に警戒することも、自分をどう見せようかと、どう見られるかとも煩うこともなくなった。
ありのままに正直に。
まつのカウントダウン。決してまつの行動によってのみもたらされたものではない。
いくつもの条件があらかじめ決められていたかのように、時間を追ってまつの心の状態に合わせるかのように整っていった。
そしてまつを支えてくれる人とのつながりさえ。
自分だけではどうしようもなかった。
え?ご意思なのか!?
いやいや、そんなことは無いはず。その方の唯一の組織から離れようとしているのだから。
だけど守ってくれたのだ。
壊れてしまう前に。
ありがとう…。
ありがとう。
残された半生、大事に生きていきたい。