Ⅳ 母の嘆き

「キリストの埋葬(ボルゲーゼの十字架降下)」

この作品が生まれる背景についての情報は、唯一、ヴァザーリからもたらされる。しかし、ご存知の通り、彼の語ることはいつも信用できるわけではない。彼によると、ラファエッロに依頼するのはアタランタ・パリオーニだったようだ。長年にわたってペルージャの町を血に染めていた内戦の犠牲者、息子のグリフォネットの思い出を卓越した絵の中に永遠に残したい、そして、それができるのは、ラファエッロただ一人だと、彼女は信じていたからだ。息子の非業の死から7年も経ってから母親が追悼しようとするなどありえないと、考える者もいるが、息子の死を最大の悲しみを母親が受け入れるまでに必要な時間を軽視してはならない。

 

「死せるメレアグロスの運搬」

古代ローマの石棺にあった浮彫。現在は素描しか残っていない。

この図像はあまりにも説得力があるため、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」から18世紀末のダヴィッドの「マラーの死」に至るまで、数世紀にわたって他の多くの傑作の誕生に貢献している。ラファエロにとっては、これが初めての古代モデルとの出会いであった。

これにより「キリストの埋葬」におけるキリストの身体はついに実体を手に入れる。

 

イエスのそばに近寄り触れることができる、唯一の人物、マグダラのマリア。

この絵ではキリストの足を拭くのに使ったという彼女の髪の毛がほどかれて胸に落ちている。イエスに口づけするために走ってきたため、結った髪型が崩れてしまったのだ。

 

前景には、赤と緑の衣服を着た若者のはっきりとした横顔を浮かび上がっている。ラファエッロは再び基本的な役割を髪の毛に委ねる。青年の栗色の髪が張り詰めた動きに反応している。彼はイエスの完全な対偶主題である。その身体には命があり活力がみなぎり、キリストと反対の方向へ体を伸ばしている。彼は、若く美しく、ローマ兵の靴を履く唯一の人物である。これが殺されたグリフォネットではないかという疑いは実に大きい。残念ながら、その疑問を解決してくれるような史料は何も残っていないが、この絵が彼の母親アタランタからの依頼であることが真実ならば、この解釈はかなり納得のいくものになる。しかも、さらなる深い感動を呼び起こす。

ラファエロは、この人物を2つの主要な場面の間にある通過点とする。彼の顔は、あまりの悲しみに気を失った聖母を支える女たちの集団へと導いていく。聖母の力なく横に倒した頭、青ざめた顔色、ねじれた腕は、現在大英博物館に所蔵される奇妙なデッサンからわかるように、深く掘り下げた研究から生まれたものであり、ラファエロが骸骨を利用して行った探究の到達点である。

聖母の足元で、ラファエロは当時の美術愛好家を驚かせる。聖母の身体を受け止めるために身をよじらせている少女は、ミケランジェロの著名な絵画作品の一つに依拠したものだからだ。「聖家族(トンド・ドーニ)に現れる聖母を繊細に洗練させた改訂版である。その作品の中で、マリアはヨセフの腕から幼子イエスを受け取るため身をよじらしている。

 

ボルゲーゼ枢機卿はペルージャの聖堂を訪問した時、「キリストの埋葬」に抗いがたい魅力を感じる。だが、ペルージャの司祭たちにこの傑作を手放すような気持ちはかけらもない。

1608年3月の夜中に、枢機卿は祭壇画を盗むために教皇軍を送る。兵士たちは聖堂の扉を破壊し、バリオーニ家の礼拝堂の祭壇に上り、額縁から絵を取り外す。翌日、その作品は枢機卿が美術コレクション収蔵のために建設した別邸の中に持ち込まれる。その時以来、もう二度とそこから出ることはない。

ペルージャ市民は、ローマ教皇にも絵を返してもらうための助力を求める。だが、教皇は枢機卿の伯父、ボルゲーゼ家出身のパウルス5世である。ペルージャの主任司祭達は、公式に板絵の返却を求めて枢機卿に請願書を送付する。このように公的に物議を醸す行動を起こせば、枢機卿は絵を元に戻すだろうと考えるわけだ。しかしながら、ボルゲーゼ枢機卿はこの問題を驚くべき方法で解決する。教皇である伯父を説得して、1608年4月11日に「自発教令」を公布させ、この中で、教皇はペルージャ当局に甥への絵画の贈与を感謝するのである。最も有能な外交官でさえも、これ以上に悪辣な解決法を思いつくことはなかったであろう。

(すごいむちゃくちゃな話ですね・汗)

 

驚かされるのは、ラファエロが下絵を単なる習作とは考えない点である。彼にとって自分が行ったことの全ては芸術作品の尊厳となりうるのだ。そのため、不要になった素描を利用して信じられないビジネスを起こす。「キリストの埋葬」の場合は、最初の習作の中から出来のいいものを選んで、当時のヨーロッパの美術市場で大きく成長していた、数多く販売できる版画に変えるのである。

版画は、お金を稼ぐための道具だけではなく、ラファエロを国際的なスターに変える手段ともなる。ライモンディの版画のおかげで、ラファエロの名声は、イタリア半島だけでなく、アルプスをも超えるようになるのだ。