〈付録〉『渋沢栄一自叙伝』より

王政復古と帰朝

一 新聞にて政権返上を知る

フロリへラル卜氏の勧めに従ってフランスの公債と鉄道株券を買い求め、万一の場合の用意としておいた。

 

二 有為天変に感慨無量

12月3日無事横浜に着したのであるが、すでに江戸は東京から改まり、渡仏の際は意気揚々として出発したのであるけれども、今はあたかも喪家の犬の如く、出迎えとても極めて小人数であり、身分柄がよく判っているにもかかわらず、取締の役人から色々身分を訊ねられたり、所持品を調べられたりして、見るもの聞くもの不愉快の種ならざるはなかった。

 

幕府を倒そうというのが吾々当初の目的であったのであるが、機会を失し、計画が齟齬してからは、どういう前世の因縁かかえって幕吏の末班となり、今また亡国の臣となったわけであるが、世の移り変わりは人力では如何ともする事が出来ないのであるから、 過去の事は一朝の夢と諦めるより外には仕方がない。

 

三 帰朝後慶喜公との対面

私がフランスに洋行する際慶喜公に御目に掛かった時には徳川十五代将軍として拝謁したのであったが、それから2年目に帰朝して今日御目に掛かるに、いかに謹慎中とはいえ余りに惨めな御様子に、覚えず暗涙に咽ぶを禁じ得なかった。

漸く気を取り直して、久々の御挨拶を申上げたが、まず出るものは愚痴であった。慶喜公においては更に悲しまれるような模様もなく、眉一つ動かされず、私の言葉を止めて、

「昔のことは一切話をしてくれるな。それよりも フランス留学中における民部の模様を聞こうと思って会ったのであるからその話をするように」

との仰せであったので、私も心ない事を申し上げたと気付き、それから心を持直して民部公子が御留学中の模様を逐一申上げ、なお民部公子が東京において御申含めになった事等をも落ちなく言上して退出したのであった。私はその時の慶喜公の泰然自若たる態度には全く感服せざるを得なかった。

 

四 慶喜公の深慮と静岡藩出仕

 

解説 近代日本への貴重な原体験 木村正人

近年の研究では、この『航西日記』は渋沢らの帰国後に編纂されたもので、「慶応3年1月11日から同8月5日までは 杉浦の日記、そして同8月6日から同11月22日までは渋沢の日記が基になっている」ことを突きとめた。したがって、本書の特に公務に関する記述は、冒頭から3分の2が杉浦の記録を、残り3分の1が渋沢の記録を多く基にしていることになる。

 

杉浦の帰国後に昭武に随行して欧州を歴訪した渋沢は、ベルギーでは大規模な製鉄所やガラス器の製造所を、イギリスでは新聞社の精密な印刷機や大英銀行を視察している。

具体的に見てみると

・ 国力の源は軍事力ではなく、経済力であることに気がついた。

・ 経済力を増すためには、経済活動に誰でも参加できる民主的な競争社会が必要である。そういった社会を創るためには「民」が力をつけて「官」を主導しながら社会を改革し官尊民卑を打破することが不可欠だと学んだ。

・「民」が力をつけるためには、公益を追求するという使命や目的の達成に最も適した人材と資本を集め、事業を推進させるという合本主義が有効であることを学んだ。

 

パリで、紙幣、株券、公債の仕組みを体験した。幕府崩壊が間近いと予測した渋沢は、昭武の留学費用を捻出するため、フロリヘラルトの勧めに従い政府公債と鉄道債券を購入した。帰国時には鉄道債券の売却益から、昭武一行や欧州各都市への幕府留学生の帰国費用まで賄ったうえ、剰余金まで生み出した。銀行家としての渋沢の萌芽を見ることができる。