モスクワ特派員物語

エルミタージュの緞帳

小林和男 著

NHK出版 発行

1997年9月24日 第1刷発行

 

1970年にモスクワ特派員になってから、エリツィンの時代まで、激動するソ連や東欧諸国をジャーナリストとして見てきた記録です。

 

〈プロローグ〉 裏切られた期待

1957年の10月、ソ連による初の人工衛星打ち上げの成功を見てロシア語を勉強しようとひらめいた筆者。

ロシア語学科に入って驚いた。著者以外はほとんどが信念の人だった。共産主義の未来を信じ、その理論を雄弁にまくし立てる者もいれば、トルストイ、ドストエフスキーに憧れてロシア語を勉強している者もいる。

 

日米安保闘争のデモに参加し興奮して大衆の騒ぎに陶酔してしまう人の心理は、その後ロシアで同じような場面に何回となく出くわした時、デモの雰囲気は興奮を額面通りに取らずに、冷めた目で見るということのいさつかの実践経験になった。大群衆が一斉に上げる歌声に酔い、アジ演説に興奮するのは一時的な神経の興奮で誰もが経験することだが、酔いが覚めて理性が戻ってくれば、それは大して意味も持たなくなる。ヒットラー、レーニン、そしてスターリンが稀代の独裁者になったのは、大衆に酔いがさめる時間を与えないことで大衆を動かすことができたのだろう。

 

しゃべり始めた“ミスター・ニェット”

28年間寡黙で通してきたグロムイコ外相のこの変わりようは、ゴルバチョフという若い指導者の台頭と無縁ではなかった。

 

グロムイコ外相に代わって登場したシェワルナゼ新外相は、当時まだ57歳、陽気で楽天的とされるグルジア人気質にあふれて明るくおしゃべりで、人を引きつけ、5年後に辞任するまでゴルバチョフと二人三脚でソ連を変えた立役者になった。

 

裸にされたゴルバチョフ

自国の軍隊の行動について知りもせず知らされもしない大統領、国の大事を通報する緊急電話に出ることも許されない裸にされた大統領。リトアニア、ラトヴィアの事件は大統領が浮いた存在になっていることを示しただけではない。ゴルバチョフの始めた世直し「ペレストロイカ」 はバルトから崩れ始めていた。そしてこれがやがて8 ヶ月後のクーデターへとつながっていく。

 

ベルリンの壁が崩れた

ベルリンの壁が崩れて人も情報も自由に流れ、全ての人がいがみ合わずに暮らせる時代がやってくる。そんな思いは数年を経ずして裏切られる結果となる。あの時涙を流して抱きあった東西の人々が「怠け者」「利己主義者」と互いになじり合うまでには、そう時間はかからなかった。

 

ゴルバチョフ対エリツィン

エリツィンは粗野な言動をする。教養、識見という点でもゴルバチョフとは格段の違いがある。しかし情報に対しては動物的な嗅覚を持っている。彼は自分の教養や知識の欠点を知っている。だから即席の難しい記者会見には対応できない。

その弱点を補うために報道官を利用しようとする。いずれの国でも報道官はボスを持ち上げる役名も負っているが、エリツィンの場合は本物と伝えるべき姿の落差が大きい。平たく言えば、あからさまな嘘を言うことは報道官の役目ということになる。大方の人物がこの役目に耐えられない。

 

「俺が法律をつくったのだ」

ゴルバチョフは強大な権限を持つ超大国の大統領になり、大統領令で国を動かそうとした。しかし、その命令と国民の間に信頼と責任の関係はなく、ソ連邦は崩れ、ゴルバチョフも去っていった。

その手法はエリツィンに引き継がれ、大統領令はゴルバチョフ時代と比べ物にならないほど恣意的に乱発されるようになった。乱発される大統領令は朝出して夕方に取り消されるものだけではなく、大統領令と大統領令が相矛盾するものも多い。

 

食糧危機の裏側

ロシアで空っぽになっている食料品店の棚を映し出し、飢餓の危機を説くテレビ。

しかし実際には買いだめしていただけで、ロシア人の家庭には普段は買いだめなどをする必要ない品物が溢れていた。

また軍の食料備蓄があったため、飢え死の危険はなかった。

 

国が崩れていく時は、通貨に対する信頼が失われ、自尊心がなくなっていく。

 

利権争いと腐敗

エリツィン政権になってからのロシアの治安の悪化は恐るべき状況をつくり出している。かつて世界で最も安全な街と言われたモスクワは最も危ない都市になり、ロシア社会は、争い事は銃で解決するというのが日常茶飯事になっている。

 

粗雑も計算ずくのジリノフスキー

ジリノフスキーはその後も、一見異常と言えるような行動をとっている。何と愚かなこと、というのは我々の見方で、彼はそのたびに話題になり、ロシアだけではなく外国のメディアに乗り有名になっていく。そしてロシアには、その行動を喜ぶ人たちの層がいることを彼はちゃんと計算しているのだ。

(いわゆる炎上商法ですか)