世界の名著 9

ギリシアの科学

田村松平 責任編集

中央公論社 発行

昭和47年2月10日 初版発行

 

ギリシア自然学序論 田村松平

アリストテレスの自然学

ヒッポクラテスの医学

『流行病』における症例集は、いわば臨床医のノート、病床日誌のようなもので、公表の意図をもって書かれた論文・口演形式を取らない。したがって、文体、修辞法などへの考慮は一切省かれ、ただ必要事項だけが簡潔に力強く記述されている。

 

『神聖病について』

いわゆる神聖病とは、以下に述べるような疾病である。私見によれば、本病は他の疾病に比べて特に心的でも聖なるものでもなく、自然的原因を有する。だが人々は、本病が他の疾病とは趣を異にするために、無経験と驚畏の念から、何か神的なものだと考えたのである。彼らは事態が認識できないのに困惑して、本病の神聖を信じ続けてるのであるが、一方では彼らの用いる治療法が安易なため、かえってその神聖が失われている。彼らは潔めとか祈祷によって治療するからである。

 

『箴言』

生命は短く、学術は長い。好機は過ぎ去りやすく、経験は過ち多く、決断は困難である。医師は自ら自己の務めを果たすだけでなく、患者にも看護者にも、また環境にも協力させる用意がなくてはならない。

 

[『箴言』は、中世から近代の初期までは、「ヒッポクラテス全集」中の精髄とみなされてきた。多くの思想家、文筆家によって好んで用いられる いわゆるアフォリズムの形式は、本篇にその範をとったものといえる。「芸術は永く、人生は短い」という有名な成句も、本篇の冒頭の句に由来している。]

 

エウクレイデス 原論

エウクレイデス(ユークリッド)の『原論』ほど多くの人々に読まれた書物も珍しい。現代でも、私たちが中学・高校で学ぶ幾何は、彼の『原論』のそれとそう違ってはいない。しかし、その作品が2300年近くも数学の教科書として親しまれてきながら、著者であるエウクレイデスその人については、ほとんど何も知られてはいない。 わずかに古代人の証言から、彼がプトレマイオス1世の治世に、すなわち前300年頃、おそらくアレクサンドリアにおいて活躍し、多くの数学的著作を残したということが推測されるのみである。

 

アルキメデスの科学

ヨハンネス・チェチェーズの『歴史の書』

あの有名な機械の製作者である賢者アルキメデスは、シュラクサイに生まれ、老齢の幾何学者として、75年の生涯を保った(前287-前212)。彼は多くの機械的な力を駆使し、ただ三段になった機械装置と左手だけでもって、5万メディウム(穀量の単位)の重さの船を海に引きおろした。

 

このようにして老幾何学者は、自分の工夫した武器でマルケルスがたを打ち負かしてしまった。そこで彼は、ドリス方言のシュラクサイ訛でこう叫んだ、「わしの立つ場所さえありゃあ、ハリスティオン(機械の名)を使って大地をそっくり動かしてみせようのに」と。

 

プルタルコスの『対比列伝』

身辺につきまとっているあるセイレーン(ホメロスに出てくる美声の海の精)によってたえず魅惑されて、彼は食事を忘れ、身体についての配慮を怠ったということや、身体に塗油したり入浴したりするためしばしば力ずくで引っ張っていかれると、彼はかまどの上に幾何学の図形を描いたり、油を塗られた自分の身体に指でもって線を引いたりして、大きな楽しみにふけり、真実、ムーサイ(九学芸女神)に取り憑かれているのであった。

 

ウィトルウィウスの『建築書』

(黄金の冠の不正を見抜く方法を発見した時)

彼は躊躇するどころか喜びのあまり浴槽から飛び出して、家に向かって裸のまま駆け出し、自分の求めていたことが発見されたことを大声で告げた。すなわち、彼は走りながら、繰り返し繰り返しギリシア語で「私は発見した、私は発見した」と叫んだのであった。

[英語風に発音すると、「ユリイカ」になる。元来、発見の喜びの声であるが、特にE・A・ポウが詩論書の表題に用いて以来「詩論」の意味に転用される。なお、アメリカ合衆国には20近くの「ユリイカ」という地名がある。]

 

砂粒を算えるもの

ご存知のように、大多数の天文学者たちの宇宙と申しますのは、その中心が地球の中心であり、その半径が太陽の中心と地球の中心との間の直線に等しいような、球のことでございます。これは、あなたが天文学者たちからお聞きおよびの宇宙の輪郭でございます。ところが、サモスの人アリスタルコスは、いくつかの仮説からなる書物を著しまして、宇宙は今申しましたものよりも幾層倍も大きいという結論を、それらの仮定から導き出したのでございます。

と申しますのは、アリスタルコスの仮定しましたのは、

(一)諸恒星と太陽は不動のままであるということ

(二)地球は太陽の回りに一つの円周を描いて回転し、その円軌道の中心に太陽が横たわっているということ

(三)諸恒星の球は太陽そのものと同じものを中心とし、 その球の大きさは、彼が地球はそこを回転すると仮定しましたその円の、恒星への距離に対する比が、球の中心のその曲面に対する比に同じだ、

ということでした。

 

アリスタルコス 太陽と月の大きさと距離について

アリスタルコスといえば、普通、地動説を唱えた人として有名になっているが、彼のものとして残存している唯一の論文である本論文は、地動説とは無関係であって、表題の示す通り、太陽と月の大きさの比率と、それぞれの地球からの距離の比率を推定するのが目的となっている。

 

年譜

アレクサンドリア時代

アレクサンドロス大王(前356-323)の死後、マケドニア帝国の崩壊に伴って、エジプトのアレクサンドリアに誕生したプトレマイオス朝は、典型的な学術的宮廷として永遠の価値を持つことになった。プトレマイオス2世ピラデルポスは、リュケイオンにおける蔵書とか研究組織などに範をとって、ここアレクサンドリアに博物館と図書館を建設した。博物館では、学者が国費によって研究しながら共同生活を営み、図書館では、当時のありとあらゆる文献の収集と目録の作成、書籍の出版などが行われて、アレクサンドリアは学問文化の中心地となった。