ソ連時代の中央アジアを巡る記録

ソビエトアジアの建築物

ロベルト・コンテ、ステファノ・ペレゴ 編者/写真

グラフィック社 発行

2022年4月25日 初版第1刷発行

 

ウズベキスタンについて調べるヒントの一環として、大昔にラジオ・タシケントから頂いた絵葉書を再確認。その図柄であるレーニン中央博物館タシケント分館(現・ウズベキスタン国立歴史博物館)を改めて見て、その外装のユニークさにひかれて、調べ直し、少し前にブログ記事にしました。

その博物館のように、ソビエト連邦構成共和国であったカザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンには、1950年代からソ連崩壊にいたるまで、数々のモダニズム建築が建造されました。

本書は、イタリア人写真家が中央アジアを横断し、写真におさめてきたソ連時代の建築遺産の記録です。

この本により、ソビエト政権末期の数十年間に中央アジアの諸都市に建造され、はるか遠くモスクワからもたらされた「現代性」を具現化している独特な建物の写真群を見ることが出来ます。

 

中央アジアの都市を書き換える(文:マルコ・ブッティーノ)

ソビエトの集合住宅に見られる2つの特徴

・ 色々な建築様式を取り入れているが、全て規格化されていて、大量生産されていること

・ それぞれの土地の文化、各国の民間伝承をモチーフにした装飾が施されていること

 

中央アジアの都市部に元々住んでいる人々にとって、規格化された集合住宅に住むというのは魅力に欠けていた。コミュニティのつながりが強い地域で、3世代による同居生活を送ってきた人々に、新しいソビエト式集合住宅の小さな住空間に順応しろというのは無理な話だった。その結果、多くの都市に異なる特徴を持った地区が共存するようになり、 かなりの割合の人口がソビエト式の公的生活に関わりながら昔ながらの状況に住み続けていた。

 

中央アジアに位置する5つのソビエト社会主義共和国の首都は、広大なエリアがソ連の指令型計画の対象地となっていた。トルクメニスタンの首都アシガバー卜は1948年の地震で壊滅的な被害を受け、その後、ソビエト式に再建された。ウズベキスタンの首都タシケントも1966年に地震に見舞われ、旧市街地の多くが全滅し、大量生産型建築を用いた都市の再建が行われた。

 

ソビエト政権は各地の民族文化を民話の継承程度に抑え込もうとしていた。

ソ連時代の建築物の多くに、その土地の民間伝承にひねりを加えたフレスコやモザイクの装飾が施されている。

ロシア人は他民族にとって兄や姉のような存在であり、この地域の発展を手助けをしているのだ、これは植民地化ではなく、兄弟愛からの行いなのだ、と教導している。

 

中央アジアの都市を滅ぼす要因になってるのは、ソビエト時代に始まり、ソ連の崩壊後、一大ビジネスへと発展した観光業だ。

ソ連時代から、観光バス用の駐車スペースを確保するために近隣地が取り壊され、モスクは本来のあり方から乖離した「美術館」になってしまった。

 

ウズベク・ソビエト社会主義共和国

ホテル・ウズベキスタン 1974(表紙)

ウスベキスタン国立歴史博物館(旧・レーニン博物館) 1970

集合住宅 1980年代

オリンピック栄光博物館(旧・民族友好博物館) 1976

パレス・オブ・アーツ 1964

テレビ塔 1978-1985

超高層集合住宅 1980-1984

モバイル・テレシステムズ(MTS)ウズベキスタン本社 1985

 

 

チョルスー・バザール 1980

ウズベキスタン芸術家協会・展示ホール 1974

カフェ・ブルー・キューポラ 1970

集合住宅 1970年代 1984他

オフィスビル 1970年代

民族友好宮殿 1981

「パール」 集合住宅 1985

映画スタジオ 1984

結婚式場 1980年代

サーカス劇場 1976

公共ラジオ局 1977

掘削器具工場 1980年代

水道管理部 1973

 

タジク・ソビエト社会主義共和国

トシュホジャ・アシリ公立図書館 1990

集合住宅 1980年代 他

ホテル・ホジェンド 1970年代

 

 

レーニン記念碑:イスタラフシャン・ダム 1965

作家同盟 1974

ケーブルカーの駅 1984

ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学・分校(旧・タジク運輸局) 1980

コヒ・ボルバッド・コンサートホール 1984

タジキスタン映画スタジオ 1970年代

アヴィセンナ(イブン・スィーナー)のモザイク画 1988

タジク国立大学の寮 1980年代

サーカス劇場 1977

超高層集合住宅 1985

ホテルアヴェスト 1984

 

カザフ・ソビエト社会主義共和国

将校の家 1978

テレビ・ラジオ局 1983

カザフスタン共和国大統領文書館 1974

共和国広場の集合住宅 1978

「三人の騎士」 集合住宅 1971

アルマン映画館 1968

ホテル・カザフスタン 1977

旧・ピオネール宮殿 1983

アル=ファラビ記念カザフ国立大学 1970年代

学生たちの宮殿(アル=ファラビ記念カザフ国立大学コンサートホール)

サーカス劇場 1972

結婚式場 1971

アウェーゾフ劇場 1980

サン・シティ・ホテル 1973

工科大学 1988

超高層集合住宅 1984

アラサン公衆浴場 1982

アルマ=アタ・ギプロゴール(都市計画研究所) 1971

軽工業省のモデルハウス(ファッション産業) 1984

子供と青年のための国立学術ロシア劇場(旧・AHBK文化宮殿) 1981

アウル集合住宅 1986

 

キルギス・ソビエト社会主義共和国

国立美術館 1974

サーカス劇場 1976

国立図書館(旧・レーニン図書館) 1984

国立歴史博物館(旧レーニン博物館) 1984

結婚式場 1987

集合住宅 1985他

ジルガル公衆浴場 1986

M.V.フルンゼ生家記念博物館 1967

コジョムクル記念スポーツ宮殿 1974

ドム・タルゴーヴリ住居および商業ビル 1985

ラジオ・テレビ制作スタジオ 1967-1980

キルギス国立大学研究棟 1978

国立心臓病学・内科センター(会議場) 1982

若年世帯のための集合住宅 1985-1989

イシク=クル集合住宅 1979

 

ソビエト連邦時代の中央アジアにおけるモダニズム建築(文:アレッサンドロ・デ・マジストリス)

ソビエト化というシステムには順応的・妥協的な側面もあった。中央政権のイデオロギーと政策が目指していたのは暴力と抑圧、折衝と融合によって植民地化された過去を持つ、様々な民族と文化を一つに統合した国家を創ることだった。

 

ソビエト・モダニズムについて、西側の単純化された観点が見落としている、伝統や地理的要素に焦点をあてたアプローチからの解釈もある。



1920年代、現実社会では歴史的背景に深く根付いた実験的な建築例が顕著に見られた。

1930年代から1950年代半ばにかけてのスターリン政権時代に都市部のソビエ卜化が加速される。