(ナミュールの城砦)

 

第3章 イタリア戦争時代の築城の発達とイタリア式築城

第1節 シャルル8世のイタリア侵攻

第2節 イタリア式築城の発展

 

第4章 稜堡式築城の完成

第1節 各国の築城学派の登場

オランダの城郭は低地帯のため山がなく、石材に乏しい関係で煉瓦積みの城郭が多い。また、市の周囲に城壁を巡らすかわりに堀や水路を巡らせて防御施設としてる城(水城)が多い。

 

メノ・フォン・クーフォルン(1641~1704年)はオランダのヴォーバンと言われた工兵軍人であり、大同盟戦争(1688~1697年)といわれるフランスルイ14世のオランダ侵攻に際して、要塞建設者としてその名を轟かせ、オランダの要塞システムを設計した人物である。

大同盟戦争では、1692年に自身で設計したナミュール要塞の司令官として守備隊を指揮するもフランス軍の前に陥落した。しかし、 1695年の第2次ナミュール包囲戦ではオランダ総督兼イングランド王ウィリアム3世の軍勢に加わり、包囲戦を指揮してナミュール要塞を陥落させた。

 

第2節 ヴォーバンによる築城システムの完成

ヴォーバン(1633~1707年)は、 太陽王ルイ14世の戦争を支え、戦争遂行法の規範となる「要塞戦」の樹立者であり、築城家として多くの城塞を構築するとともに、数多くの攻囲戦 を指揮した。またフランス工兵隊を専門的な技術者集団に育成した人物である。

生涯に53の攻囲戦に参加するとともに33の城塞を作り、3000にわたる城塞の改修を行い、また運河や水道橋の建設も手掛けた。

 

第5章 火力重視の築城思想への転換

第1節 ヴォーバン後のフランス築城学派とドイツ築城学派

第2節 モンタランベールの新築城方式

 

第6章 プロイセン方式による近代要塞への進化

第1節 ドイツ多角形学派の発展

ナポレオンは、ナポレオン戦争において古い要塞を無視して敵を求めて敵地奥深く進撃し、これを野戦で撃破した。ナポレオンが攻城戦を行ったのはたった 2回でしかない。これがナポレオン戦争が前世紀の制限戦争と大きく変わった点であろう。攻城戦は時間がかかり、政治目的を達成しにくかったが、ナポレオンは敵軍を野戦で速やかに撃破して政治目的を達成し、次の攻略の準備を行うことを求めていた。そして、ナポレオン戦争の時代には、そのための基盤が大きく成長していた。

 

第2節 環状分派堡式要塞と装甲要塞

 

第7章 塹壕戦と永久要塞戦

第1節 第一次世界大戦における塹壕戦

第2節 第二次世界大戦におけるマジノ線