第2章 中世の築城
第1節 中世前期の築城
モット&ベイリー式
モットは周囲の堀を掘り起こした土などから盛土して、その上に木造のキープが建てられ、城主はそこに住んだ。
ベイリーは、モットを取り巻く外郭で、堀や木造の塀に囲まれた円形の場所であり、そこに家畜小屋、厩舎、兵舎などが配され、経済の中心であった。
グラードはスラヴ人たちが用いた築城であり、築城を施された居住地を指している。これは、周りを堀に囲まれ、通常は木造バリサードを施された土造城壁と築城を施された城門を備えていた。
第2節 中世後期の築城
イングランドとフランスの比較
・イングランドでは国土全体が1人のノルマン朝の国王と王に従うノルマン貴族により統制されていたため、城郭も全国的に統一されており、地方的な変化はあまり見られない。
・フランスは中世前半まで1人の王により統一されておらず、各諸侯が独立した状態であったため、城郭建築においても全国的統一がなく、地方により著しい差が見られる。
シェル・キープ
キープを円筒形にして空間を最大限に利用する発想で構築
12世紀の英仏においてレクタンギュラー・キープ(フランスではドンジョン)の城を普及させたのはイングランド王ヘンリー2世である。彼が支配した勢力圏は英仏両国にまたがって広大であり、近年の歴史家はこの支配地域をアンジュー帝国と呼んでいる。
(シノン城の時計の塔門)
シノン城
10世紀半ば ブロワ伯ティボー1世が、古代ローマ時代の砦跡に築いたのが始まり
11世紀 ドンジョンが造られた
12世紀 ヘンリー2世が城を所有
1160年代 ヘンリー2世は中城の東側と城への主要なアプローチに宮殿を建設
1204年 ジョン王から城を奪い取ったフィリップ尊厳王
その後独自の改造を施す
14世紀後半 石落としが追加される
1308年 テンプル騎士団総長ジャック・ド・モレイと騎士団団員をタンプル塔に幽閉し、
1314年 パリで死刑判決を下す
1429年 ジャンヌ・ダルクは王太子(後のシャトル7世)と会う
タラスコン城
12世紀 城砦が構築される
1400年頃 ナポリ王アンジュー伯ルイ2世により城郭が構築される
15世紀中頃 プロヴァンス地方の大諸侯であるルネ1世がドンジョンによる城郭を建造
アヴィニョン
アルビジョワ十字軍の際に教皇庁がトゥールーズ伯レイモン6世を破門した場所
この都市は神聖ローマ帝国から独立していた。
ルイ王子が城塞を破壊した。
1234年 街の指導者たちは城壁と39の塔の再建に着手
1248年 城壁が完成
1335年 教皇ベネディクトス12世が教皇庁宮殿の建設を開始
1355年 高さ8mの新しい城壁と8つの門の建設が始まる
1400年 多角形の塔が完成
15世紀 有名な教皇宮殿が建設
第3節 十字軍による東方世界の技術移入とモンゴル軍の東欧侵攻
十字軍
1096年 第1回十字軍を組織して中東に派遣される
1099年 エルサレムを奪回し、進出した地域に城塞を建設
1102年 シリアのサフェトに城が建設されたが、これが最初に建設された十字軍の城と思われる。
第4節 中欧・北欧・東欧・南欧における城郭の発展
ロシアのクレムリン(城郭)で有名なものがモスクワのクレムリンで、1156年に創建された。現存するクレムリンの城壁はモスクワ大公イヴァン3世が1485年から1516年にかけて造営したものであり、城壁は三重に巡らされており、外城壁は円形に近い。
ポルトガルのマヌエル様式
ポルトガル王マヌエル1世(在位1495~1521年)の治世に流行し、ポルトガルのほぼ全域に広まった様式で、15世紀後半~16世紀にかけて流行した建築様式。
16世紀前半のポルトガルで、大航海時代に海外交易で得た権益を背景に王室の富を誇示するかのように、過剰ともいえる装飾を施した建物のことをいう。王室の勅令によってポルトガル全土の建物に適用され、大衆建築としても 浸透した。
その特徴は、後期ゴシック建築に付随する装飾技法の一種とみなされ、後期ゴシック建築、ルネサンス建築、イスラム建築の要素と大航海時代の自然感を備えている。
第5節 百年戦争の影響とコンスタンティノープル陥落
百年戦争は、フランス王国の王位継承およびイングランド王家がフランスに有する広大な領土をめぐり、フランス王国を治めるヴァロワ朝とイングランド王国を治めるプランタジネット朝およびランカスター朝というフランス人同士の争いにフランスの領主たちが 2 派に分かれて戦った内戦である。イングランド・フランスとも互いに国家としての概念が薄い時代であり、封建諸侯の領地争いが重なったものであった。
コンスタンティノープルの大城壁は当時のヨーロッパでは例を見ないものであり、建設以来一度も敵襲により破られたことはなかった。 しかし、1204年、第4回十字軍によりコンスタンティノープルが占領されたことがあったが、それは一層の城壁しかない海上から攻撃されて陥落したのであった。
