柳田国男 現代に生きる思考
鶴見太郎・小田富英・室井康成 編
図書出版みぎわ 発行
2026年2月10日 初版第1刷 発行
はじめに 新しく石を置く 鶴見太郎
2025年は柳田国男が生まれて150年目に当たる年だった。1975年、生誕100年の際は各地で大きな催しが行われたのに対し、それから50年を経た現在、関連する集まりは意外に低調である。生誕100年当時はまだ、直接に柳田を知る人が多く存命で、それだけ柳田はまだ身近な存在であった。
序章 変化に対する姿勢 黒川創
ノルウェイの劇作家イプセンのような、ヨーロッパ中央から外れた北欧などの文学者たちが、国境を越えて注目を集めること自体が、20世紀に移ろうとする時代の新しい現象なんです。
1910年の大逆事件
森鷗外は軍医総監ですから、元老として陸軍を束ねる山縣有朋の人脈から、刻々と、この事件を取り締まる側としての情報が聞こえてくる。一方鷗外は「スバル」という文芸雑誌を運営していて、その出資者は平出修という同人で、彼は若手の弁護士なんです。そしてこの平出は、大逆事件の被告側の弁護人をつとめている。ですから、そちら側からの情報も鷗外には入ってくる。
鷗外は、上長に対して、厳しくはものを言わなかったと思います。軍医の仕事は仕事として黙々とこなして、家に帰ると、文学関係の活動に熱中するというタイプでしょう。柳田はそれとは違って、伝えるべきと思った相手には、批判的な観点も隠さずにものを言う。ここは鷗外と対照的なところでもあると思います。
『遠野物語』の序文
花巻から遠野まで、まだ路線はありません。だから柳田は花巻からおそらく歩いていったのでしょう。
(『NHK 100分de名著 柳田国男 遠野物語』によると、人力車で行ったそうです)
『 明治大正史 世相編』は、大変おもしろい著作です。柳田がこのように長い原稿を書き下ろした著書は、他にない。柳田の著作は、いろんなところに書いたものの寄せ集めみたいな作り方が多いのですが、これは全篇が書き下ろしです。そしてわかりやすい章もあるけれども、わかりにくい章もある。つまり、はっきり結論が出てることと、これから考えていこうということと、世相に関するいろんな側面への着眼が、そのまま出ている著作と言えるんじゃないでしょうか。
1944年から45年にかけての柳田の日記が後に『炭焼日記』として公開、出版されています。これは、毎日、いろんな人が家に訪ねてくるという記録でもあります。
Ⅰ 実践の現場から
第一章 丘としての柳田国男 笠井賢紀
筆者の調査地栗東において、左義長という行事は、1月中旬に各自治会単位で行われ、地域住民から集めた正月飾りを竹で組んだ構築物とともに焚き上げるものであった。
(自分の地元では、いわゆる「とんど」と呼ばれるものだと思われる。左義長という言い方は知らなかった)
日本に河童の研究をしに来たノルウェー人
「ノルウェーにもカッパがいるの?」 と質問され、最初は厳密さを重んじて「いない」という説明をしていたが、徐々にノッケンが河童に近い性質を持っているかもしれないなどという説明をするようになった。
第二章 柳田国男を読みながら遠州の民俗を記録する
後藤総一郞と遠州常民文化談話会
中山正典
後藤による「郷土史研究」に向けての原則的な理念
・ 身銭主義による自己教育の実践を貫くこと
・ 主体性と内発性にもとづく「大学」への参加
・ 長期的展望による大学構想
・ 良識ある、縦断的世代構成による運営委員会の組織化
