はじめて旅するウラジオストク
矢巻美穂 著
辰巳出版 発行
2020年2月15日 初版第1刷発行
前に1989年のウラジオストク訪問の本を紹介しましたが、こちらは2020年頃のウラジオストクを扱っています。
5、6年前とはいえども、現時点とはまた異なるとこもあるのでしょうね。
カラー写真も豊富で、綺麗な本です。
ピロシキ
カレーパンのような揚げパンの中に、ひき肉というイメージだが、本場には3種類のビロシキがある。
・硬めのパンの中にお惣菜を入れたもの
・伝統的な揚げパンタイプ
・パイ生地の高級路線
中身の具材はひき肉だけじゃなく、ポテトやキャベツ、ジャムなど様々。ポピュラーなのは卵とネギ、さらにはご飯が入ったもの
(小学校の時の給食でピロシキを食べたのを思い出します)
90年代まではよくウォッカは飲まれていたが、最近では毎晩飲む人はかなり少数になった。
ロシア政府はアルコールを推進しない法律を樹立、テレビCM の禁止や夜間の購入不可を決定。
また長距離列車での飲酒も法律で禁止されている。
(アルコールのテレビCMがやたら流れる日本よりも、厳しいですね)
アルセーニエフ記念国立沿海地方博物館
1905年に建設され、当時は極東ロシア最大の貿易会社の建物だった。
ロシア革命後は、沿海地方州の財政局などを経て、
1918年からの6年間は日本の横浜正金銀行の浦塩支店に。館内には当時の金庫も保存されている。
スポーツ湾には、移転撤去が決定したがサッカーのルチ・ウラジオストクのホームスタジアムなどがある。
聖パウロルーテル教会
1909年に創建、ウラジオストクで最も古い教会と言われる。ソ連時代に入ると教会は閉鎖、太平洋艦隊の海軍歴史博物館だったことも。その後1997年に復興した。ここは観光客でも中に入ることができる。
(1989年訪問の本によると「日本人はドイツ寺院と呼んだが、正しくはカタリーチェスキー寺院」とのことです。また絵はがきの説明では「太平洋艦隊の赤旗勲章受章者の博物館」と書いてあったそうです)
ウラジオストク日本人街の3度の変化
・ウラジオストク開港の時代。長崎港からウラジオストックへも行き来ができた。
・ロシア革命そしてシベリア出兵の頃。シベリア撤退を機に日本人コミュニティは縮小
・第二次世界大戦終戦後、ソ連に抑留された日本人はウラジオストクでも労働に従事した。サッカーチーム、ルーチ・エネルギアの本拠地ディナモ・スタジアムは日本人抑留者によって建てられたもの。また多くの集合住宅も同様
マトリョーシカ
ロシア各地で作られ、有名な産地は6か所ほど。モスクワの東に位置するセミョーノフ、モスクワ郊外の街セルギエフが有名で、他にも小さな工房を合わせると数えきれないほど存在する。
・ホフロマ柄系(伝統工芸品のホフロマ塗り)
・セミョーノフ系(この町でマトリョーシカが生まれた)
・グジェリ系(ロシアの伝統的な陶器のグジェリ柄をモチーフ)
・キャラ系(プーチンなどの歴代の指導者)
・ロシア正教系
