ギリシア芸術模倣論
ヴィンケルマン 著
田邊玲子 訳
岩波文庫 青586-1
2022年10月14日 第1刷発行

このヴィンケルマン(1717-1768)の名前は、ゲーテの「イタリア紀行」でよく見かけました。
図書館でこの新刊書を見つけ、読んでみた次第です。

絵画と彫刻におけるギリシア芸術模倣論
合間合間にホラティウスなどの警句を挟みながら、論を展開しています。

衣襞(ドラペリー)という語で理解されるのは、彫像の裸体部分に衣を着せかける技巧、すなわち衣を襞づける技巧が教えるすべてのことである。この知識は、美しい自然の肉体、高貴な輪郭に次いで、古代作品の第三の優れた点である。p18

ラファエロの作品に接するには、諸々の美を感取することを学んだ目、すなわち真の古代の趣味を会得していることが、必要である。そうすれば、多くの人には生気に欠けて見えるだろうアッティラの主要人物たちの安息と静謐が、実はたいへん意味深く崇高なのだとわかる。p22

 

『絵画と彫刻におけるギリシア芸術模倣論』にたいする公開状
これは匿名の著者が近代擁護派の論点から『模倣論』を批判するという体裁です。

ドレスデン王立古代小陳列室(キャビネット)の一体のミイラについて

『絵画と彫刻におけるギリシア芸術模倣論』の解説と模倣論にたいする公開状への回答
これは上記の批判に対して『模倣論』の著者が答える形をとっています。

こうした手の込んだ策をとったのは、当時の批評と反論の文化を取り入れた、多分に戦略的なものであった。p445

彫像描写
ローマに到着したヴィンケルマンがまず取りかかったのは、ヴァチカン宮殿のベルヴェデーレの中庭に展示されていたいくつかの彫像の描写であり、実物を自分の目で観察するだけでなく、古代の文献などを集めて改めて研究し直した。その際の抜き書き集や推敲を重ねた複数の手稿が残されている。

本書では、当時人気の高かった、トルソ、アポロ、ラオコオンの描写を訳出しています。p451

 

書簡 

18世紀は、啓蒙思想に由来する、個人の人間性に基づいた人間関係としての友情礼賛の世紀であり、そうした人間関係の表現としての書簡の世紀でもある。p452


ヴィンケルマンは友人たちに何度も書簡で、王子たちの教養旅行の付き添いとしてローマに行きたい、年下の王子の教育係になる見込みがある、などと語ってきたが、いずれも実現しなかった。p377

解説
ヴィンケルマンは古代ギリシア人を発見した。
もちろん古代ギリシア人がいたのは知られていたが、一つの民族、一つの理想としてではなかった。ヴィンケルマンは古代ギリシアに完全を見出だした。p426

ヴィンケルマンの書は熱狂的なギリシア礼賛を生むと同時に、いまやその面影もない当時のこの状況が嘆かれ、ギリシア復興を望む声を生み、19世紀の対トルコ独立運動へと連なって、現在のギリシアまで引き継がれる。p427

 

ネートニッツ城ビューナウ伯爵蔵書図書館の司書だった時の収穫の一つは、ドレスデンを知ったことだった。休日の日曜日に片道二時間かけて徒歩で往復し、「ドレスデンを見たことがない者は美しいものを何も見たことがない」と極言するほど、この都に魅せられた。p434

ヴィンケルマンの死後二十年近くたってイタリアに旅したゲーテは、ローマの地を踏んだ感慨をこうつづっている。「31年前、ちょうど同じ季節にヴィンケルマンが、このわたし以上に哀れで常軌を逸した男として、この地にやってきた。彼はなんと果敢に奮闘を重ね、功成り名を遂げたことか」